大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和40年(あ)1840号 判決 1966年12月23日

全林野労働組合中央執行委員

石川一雄

農林技官(休職中) 上野利志雄

猪苗代営林署常勤作業員(休職中)

松井こと 大倉冬樹

農林技官(休職中) 奥田中

農林技官(休職中) 西坂雄治

農林事務官(休職中) 渡部幸雄

右暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被告事件について、昭和四〇年七月六日仙台高等裁判所の言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人佐藤義弥、同久保田昭夫、同福島等、同根本孔衛の上告趣意第一点の一は、憲法判断を遺脱したというのである。しかし、所論の点に関する原判示は、簡に失するきらいがあるが、その趣旨とするところは、憲法二八条の保障する団結権、団体行動権の行使も正当なものでなければならないとの前提に立って、被告人らの所為は正当なものとはいえないから、第一審判決は憲法二八条に違反しないというにあるものと認められる。したがって、所論のような違法はなく、上告適法の理由に当らない。

同第一点の二について

所論は、原判決が暴力行為等処罰ニ関スル法律を適用したのが違憲(二八条違反)であるというのである。ところで、原判決の認定した事実によると、被告人らは、永田永久らと団体交渉をした際、同人らが団体交渉を打ち切ろうとしたことに憤激し、約二〇名の組合員らとともに、口ぐちにその継続を求めて、永田永久のみぞおちのあたりを手拳で突いたり、阿部新一の腕をねじあげたり、同人らの体に強く体当りをしたりなどして、多衆の威力を示して暴行を加えたというのであって、このような所為は、後記第一点の三について述べるように、団体行動の正当な限界を超えた違法なものといわなければならない。そして、このような違法な行為に対して暴力行為等処罰ニ関スル法律を適用しても憲法二八条に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和二九年四月七日大法廷判決)の明示するところである。もとより、右法律は、本件のような違法行為のみを対象にしたものでないことはいうまでもないが、このような行為にその適用を排除すべき理由は見出しえない。所論は理由がない。

同第一点の三について

所論は、原判決が被告人らの所為を組合活動としては、行き過ぎであるとしたのが違憲(二八条違反)であるというのである。しかし、憲法二八条は、勤労者の団体交渉その他の団体行動で、正当な限界をこえないものを保障しているのであり、正当な団体行動は刑事制裁の対象とならないが暴力が行使されたときは刑事免責を受け得ないものであることは、当裁判所の判例(昭和四一年一〇月二六日大法廷判決)とするところである。しかるところ、被告人らは、前記のとおり、多衆の威力を示して永田永久らに暴行を加えたというのであるから、同条の保障する団体行動とみることはとうていできず、これを違法なものとした原判断は当然であり、所論は理由がない。

所論は公共企業体等労働関係法一七条が違憲(二八条違反)であるともいうが、原審で判断のなかった事項であり(その違憲でないことは、前記昭和四一年一〇月二六日大法廷判決の判示するとおりである)、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって(なお、所論は、公共企業体等労働関係法によって争議行為が禁止されている以上、労働者の団体交渉権は、通常の労働者のそれに比してより強く保障されなければならないのであって使用者側が団体交渉に応じないような場合には、団体交渉を続行するための適切な措置が大幅に認められるべきであるとし、本件における被告人らのこの程度の所為をもってしては、いまだ暴力の行使に当らないというのであるが、同法下の労使関係における団体交渉が、その他の労使関係における団体交渉と異なるものと認むべき根拠は存在しないのみならず、被告人らの所為をもって暴力の行使でないとするのは独自の見解であって採るを得ない)、いずれも上告適法の理由に当らない。

同第二点について

所論は、原判決の判断が昭和二四年五月一八日大法廷判決に違反するというのである。しかし、原判決は、前記のとおり、被告人らは多衆の威力を示して永田永久らに暴力を加えたものであり、その所為は当局側の態度に批判されるべきものがあるとしても、明らかに行き過ぎた暴力の行使であり、社会的に相当な行為で違法性がないものとは認められないと判示しているのであって、なんら右判例に反する判断をしているものではない。所論は理由がない。

同第三点は、判例違反をいうが、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反の主張であって(なお、原審が、当時における当局側の態度や諸般の事情を考慮しているものであることは、後記第六点について述べるとおりである)、いずれも上告適法の理由に当らない。

同第四、五点は、判例違反をいうが、所論引用の昭和三九年三月一〇日第三小法廷判決は、論旨はいずれも上告適法の理由に当らないとして上告を棄却したものであり、昭和四〇年五月一七日大阪高裁判決は、原判決には事実誤認がないとして控訴を棄却したものであって、いずれも所論の点についてはなんらの判断をも示していないものであるから、所論は前提を欠き、いずれも上告適法の理由に当らない。

同第六点は、違憲(二八条、三七条違反)をいうが、実質は、単なる法令違反の主張であって(なお、原判決には、措辞に妥当を欠くこともあるが、当時の当局側の態度や諸般の状況を考慮してみても、被告人らの所為が構成要件に該当しないものであるとか、社会的に相当な行為で違法性がないものであるとは認められないと判示しており、これらの点について判断をしていることが明らかであるから、所論のような法令違反があるものとは認められない)、上告適法の理由に当らない。

同第七点は条約およびILO実情調査調停委員会の勧告違反を前提として違憲(九八条二項違反)をいうのであるが、原審において主張判断のなかった事項であり、その余は事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも上告適法の理由に当らない。

同第八、九点のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例が、証拠の取捨選択の基準ないしその理由の判示の要否に関するものであるところ、原判決は、所論の点についてはなんらの判示もしていないものであるから、所論は前提を欠き、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって(証拠の取捨選択は、事実審裁判所の自由裁量にまかせられているところであり、その取捨選択の理由をいちいち判示する必要はないものと解するのが相当である-昭和三五年一二月一六日第二小法廷判決、なお、原審における証拠の取捨選択が、所論のように経験則に違背しているものとは認められない)、いずれも上告適法の理由に当らない。

同一〇点は、判例違反を具体的に示していないばかりでなく、実質は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、上告適法の理由に当らない。

被告人六名の上告趣意のうち、違憲(二八条違反)をいう点は、原判決の認定に沿わない事実を前提とするものであり、その余は、単なる法令違反、事実誤認、営林署当局および検察官の措置に対する違憲・違法の主張であって、いずれも上告適法の理由に当らない。

なお、弁護人佐藤義弥、同久保田昭夫、同福島等、同根本孔衛は、昭和四一年一一月二七日に上告趣意補充書を提出したが、上告趣意差出期間経過後のものであるから判断を加えない。

また、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって、同四一四条、三九六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官草鹿浅之介は、病気のため評議に関与しない。

検察官 高橋正八 公判出席

(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)

上告趣意書

被告人 石川一雄

同 渡部幸雄

同 奥田中

同 西坂雄治

同 上野利志雄

同 大倉冬樹

弁護人佐藤義弥、同久保田昭夫 同福島等、同根本孔衛の上告趣意

(昭和四〇年一一月三〇日付)

第一点原判決は、憲法第二八条の解釈適用をあやまった違法があり、のみならず、控訴趣意に対する判断を逸脱した違法があり、破棄を免れない。

一 憲法判断の逸脱 原判決は、根本弁護人控訴趣意第三点、並びに樋口弁護人控訴趣意に付て、被告人らの行為に付て、労組法一条二項の適用なく、従って刑法三十五条の適用もない趣旨の判示をしている。

しかし、右控訴趣意は、一審判決の憲法二八条違反をも論じているものであることは、樋口弁護人の控訴趣意第一点が、「原判決には憲法第二八条の解釈の誤りがあり破棄を免れない」というものであり、根本弁護人の控訴趣意第三点の二、三は、何れも、被告人の諸行為が憲法第二八条にもとづく団体行動権の行使として正当である旨の主張であり、何れも控訴趣意書において一見明白であるにもかかわらず、原判決は、何故か、この憲法第二八条違反に関する判断をしていない。

のみならず、原判決は、福島弁護人の控訴趣意第一点に付て、同様「被告人らの所為か組合活動としては明らかに行き過ぎた暴力行使である」旨判示するにとどまり福島弁護人が控訴趣意第一点に「原判決は憲法第二八条に違反し、法令の適用を誤り、判決に理由を付せず、理由にくいちがいがある違法がある」として提起した。憲法第二八条違反という問題に付て、同様に、判断していないのである。従って明かに、原判決は、判断逸脱の違法をおかしたものであるから、速かに破棄されねばならない。

二 原判決認定の事実に付、暴力行為処罰に関する法律違反を適用することは憲法第二八条に違反する。

1 憲法第二八条の趣旨

新憲法の制定公布に伴い、憲法第二八条は、勤労者の団結権、団体交渉権、争議その他の団体行動権が保障されるに至った。その趣旨は、勤労者が団結すること、その団結の力を示して、経営者と対等の立場で、労働条件の維持向上をはかることを保障したものにほかならない。労働者が団結の力を示すことによって、不利益な取扱を受けることがないことは保障されているのである。

2 従って、正当な団体行動がなされ、団結の力が示されている場合、その中の一個人に暴行、脅迫の行為があったとしても、これを暴力法違反に問擬することは、憲法第二八条に反することとなる。労働組合が団結の力を示し、団体交渉を求める行為は、それ自体として憲法上保障されていることは前述の通りであり、経営者が、組合の団結に付て、畏怖を感ずることがあっても、その大衆の力は、正当なものであり、何ら非難すべきものでもない。その団体行動の中で、たまたま、一個人の暴行、脅迫があっても、大衆の力自身が正当なものである限り、これに暴力法を適用すべからざることは、自明のことといわなければならない。此所に、労働組合の団体行動と暴力団との集団行動との間の、明白な憲法上の評価の差があるのである。

暴力団の集団行動は、法秩序の上からも、社会的に見ても、非難さるべきものであるのに対し、労働組合の団体行動は、憲法上勤労者の権利として保障されたもので、これを同一視する考えは、正に憲法二八条の解釈、適用をあやまったものといわなければならない。

3 旧憲法下においては、労働組合の、団体行動に関する保障の規定はなかった。むしろ、これに対する処罰規定すらあった状況であった。この時代に、労働組合の団体行動に付随して発生した暴行、脅迫等に付て、裁判所は安易に暴力法の適用を、是認して来たのであるが、その考え方を新憲法下にそのまま持ちこむことは前述の通り、憲法二八条の趣旨に照らして、到底容認することはできない。

原判決が、判示事実に付て、暴力法の適用を是認したのはこの意味で、憲法二八条に反して破棄されなければならない。

三 原判決に引用される一審判決、判示第一の(2) 、(5) 、(6) 、(7) 、判示第二の(2) 事実及び第一の4の事実(但し、後述の事実誤認の主張を含めて)は、何れも、憲法第二八条に基く団体交渉を要求する正当な行動であって、これを、組合活動としては行きすぎであるとする原判決の判断は憲法第二八条の解釈、適用をあやまったものであり、破棄を免れない。

1 公労法上の団交権の性格

公労法上の団交権は、憲法第二八条に規定する勤労者の基本権であることは争がない。

(イ) 労使の関係は、本来流動的である。従って、使用者が団体交渉を拒否する場合は、労働者は、争議行為というより高度の団体活動に訴えることができる。この争議行為という裏付けがあればこそ、団体交渉がその機能を果すことができ、団体交渉により労働条件その他が、適正な取引きとして定めることができるのである。

(ロ) ところが、公労法においては、争議行為が禁止されている。その争議権の剥奪に関する違憲性に付いては、原審において樋口弁護人が控訴趣意第二点において、歴史的に、国際法上、及び代償制度の不備のままの一方的剥奪である点等の各観点より詳論している通りである。殊に、国有林労働者は、公労法適用下の他の勤労者に比して、その業務の停廃が、国民の福祉と、何のかかわりもないことが特徴である。国有林の経営が国営を以てなされているのは、たまたま、明治の土地の官民有区分において多くの林地が国有に編入されたためであって、国民の福祉のため林業経営を国の独占経営となしたというようなものでないことは公知の事実である。林産物の中でも、もちろん、民有林の経営による林産物の生産の比重の方がはるかに大きいし、民有林の経営と国有林の経営と比して質的な差もない。要するに、国有林の経営は林地が国有だから、その経営を国が行なっているというにすぎないのであって、争議権の剥奪を正当化するためにしばしば用いられる「公共の福祉」なる概念を借用してみても、公共の福祉とは縁もゆかりもないものであることは明白である。

従って、国有林に勤務する勤労者に対し、争議権を剥奪していることは、全く合理性を欠いた憲法第二八条違反の、疑の濃厚な規定であるといわなければならない。

(ハ) 争議権を剥奪された場合の団体交渉権について

上述のように、国有林に勤務する勤労者は、不法に争議権を剥奪されている。その場合には、均衡上、当局の団交受認義務はより高度であると解さなければならない。

前述したように、争議権がある場合には、使用者側の団体交渉拒否に付ては、争議権という対抗手段によって労使間の自律作用に、概ね委ねることができるのである。

それに付ては、更に労組法第七条第二号により、不当労働行為とすらされているのである。

従って、このような争議行為という自律作用が剥奪されていて働かない場合には、条理上、使用者の団体交渉受認義務は、通常の場合に比してより高度のものたらざるを得ない。又、示威運動その他の方法により、団体交渉の場面に勤労者が団結の力を示し、それによって単なる陳情ではなく、対等の取引であることを示すことも、当然、容認されなければならない。

(ニ) 憲法第二八条の保障

憲法第二八条が勤労者に対し、団結権、団体交渉権、争議権を保障したのは、実質的平等が失われている資本主義社会において、勤労者が団結し、その団結の力によって使用者と対等の立場で労働条件の取引をすることが勤労者の生存権を守るために必要であるからである。この意味において労働基本権は、国民の基本的人権の中でも特に生存権的基本権といわれているのである。

従って、「公共の福祉」ということで、右労働基本権を剥奪するのであれば、公労法の適用を受ける勤労者に付て、他の一般産業の勤労者と比して特に劣悪な条件に甘んじなければならないとする特殊な事情がないのであるから、その団結権、団体交渉権は特に厚く、保障されねばならない。これが、憲法第二八条の要請である。

2 団体交渉権の自力による確保

労使の関係、及びその間の団体交渉は、既にのべた通り流動的、発展的なものである。従って、その中で、使用者が言を構えて交渉に応じない場合、あるいは、一方的に交渉を打切って、続行しようとしない場合等において、その場において、団体交渉を継続するための適切な措置がとられなければ、当面の紛争解決上、回復し得ない損害を生ずるに至ることは明らかなところである。

前記のように、公労法適用下の勤労者は争議権を剥奪されている以上、その団結権、団体交渉権が、通常の場合に比してより強く保障されなければならないことが、条理上も又憲法第二八条からも導き出される結論である以上、これらの勤労者の組合において、右の団体交渉を継続するための適切な措置は大幅に認められるべきである。そうでなければ、これらの組合においては、争議権を奪われているのみならず、その団体交渉権すらも、当局の不誠意によって「絵に書いた餅」に帰せざるを得なくなり、これらの勤労者の労働条件を労使の交渉によってきめるという公労法の趣旨が否定される結果となり、結局、憲法第二八条の趣旨も歪曲されるに至るからである。

3 労組法第一条第二項但書の趣旨

あるいは、労組法第一条第二項但書により、如何なる場合においても暴力の行使は否定さるべき旨の主張をなすものがあるかもしれぬ。この点については、樋口弁護人が原審控訴趣意第二点の二において詳論しているところであるが、沼田教授その他の学者すべて、この但書は当然のことを規定したものであって、労組法第一条第二項の解釈に、特に変化を与えるものではない旨を指摘している。

そもそも、労組法第一条第二項により、刑法第三五条を適用するにあたっては、違法性を有しないということが問題になるのであるから、前提として、市民法的な構成要件該当事実の存在が想定されねばならない。

構成要件該当事実が存在し、始めて刑法第三五条の適用の問題が登場してくるのである。ところが、市民法的な構成要件該当行為(例えば暴行)があれば、常に必らず、労働組合の正当な活動でなくなり、従って刑法第三五条の問題が生じないというのであれば、労組法第一条第二項は論理的に全く意味のない規定ということになる。

従って、労組法第一条第二項但書の「暴力の行使」とは市民法的な構成要件該当性の問題ではなく、より高度な、労働良識に照らして許されない暴力行為と解する他はないのである。

前述した「団体交渉を継続するための適切な措置」とは、市民法的な構成要件該当性を超えて、労働良識に照らして、これの範囲を確定すべきものである。

4 原判示第一の(2) 、第二の(2) の各行為を「組合活動としては明かに行きすぎた暴力行使」である旨判示した原判決は憲法第二八条の解釈を誤っている。

これらの事実は、原判示認定によれば「腕組みをして肩を寄せ合い人垣をつくって永田永久、阿部新一らの進路に立ちふさがった上、数回にわたって同人らを押し返し」たというのである。これらの状況は、永田永久が団体交渉を一方的に打切って退場しようとしたのに対し、その団体交渉の継続を求める組合員が、席を立って、交渉を要求した場面であって、「押し返した」との判示でもわかる通り、永田永久らが、押したのに対し、これに応じなかったというだけのことである。この場合に憲法に団体交渉を打切って退席しようとする使用者に対し、ただちに、道を開いてこれを通さなければならないものであろうか。一応、前面において説得し、交渉の継続を求めることは、適切な措置として許容されるのではないだろうか。この事実においては、原判示でも永田永久らと組合員数名のからだが接触し、永田永久らに対し、組合員が道を開かないで、押しかえしたというだけのことで、突きとばしたわけでもなければ、なぐったわけでもなく、「暴力の行使」にあたるべきものは、何一つないのである。かかる所為を、団交継続のための適切な措置とせず、前記の判示をしたのは明かに憲法第二八条の解釈適用を誤った違法があり、更に労組法第一条第二項、刑法第三五条の解釈、適用を誤った違法があるので原判決は破棄を免れないのである。

5 原判決第一の4の事実について

これは、既に事実誤認の主張でのべた通り、窓からとびおりた阿部新一を数人の組合員がこもごも説得して、一緒に署長室付近までつれて来たという事実が真相なので、その間に、阿部に対して暴力を加えたというようなことはないのである。

従って、右真実の事実を前提とする限り、この程度の措置は団体交渉の継続のための適切な措置というべきであり、これを違法とした原判決は、憲法第二八条の解釈適用を誤ったのみならず、労組法第一条第二項、刑法第三五条の解釈、適用を誤った違法があり、破棄を免れない。

6 原判決第一の(5) 、(6) 、(7) の事実について

これは、原判決の事実認定を前提として考えてみても永田、阿部に対する団体交渉の継続の要求の中の出来事である。これらの説得活動の中で右(5) の事実は、阿部の椅子をゆすったということであり、(7) は永田の椅子をもちあげたということであって、何れも、直接、同人らの身体に手を触れた行為ではない。椅子をゆすったり、椅子をもちあげたりなどして、交渉席に着席することを促すことは、直接からだに手を触れて強制する場合とは質的に相違し、意志決定を促すにとどまるものであるからこれらの行為は、団体交渉拒否が憲法第二八条に反し、憲法の秩序下において容認され得ない違法な行為であることを考慮すれば、当然、団体交渉を継続するための適切な行為として許容さるべきものである。

又、判示(6) の行為は、指で阿部の胸部を数回つついたというのであるが、その判示自体に照し明かなように、西坂被告が阿部に対している際、たまたま、同人の指が接触したという程度のもので、もとより暴行、脅迫の意志をもって阿部の身体に対し直接手をかけた行動であれば、指で胸にさわる程度のことではなく、あるいは手拳で、その他これにかわるべき力を用いて同人のからだに打撃を加えていたであろう。「指で胸をつついた」という判示自体、西坂被告に暴行の意志なきことを示しているのみならず、説得行為の最中に指がさわったという程度のことで、罪にされてはたまらない。

従って、これらの各判示事実について、これを違法とした原判決は何れも憲法第二八条の解釈、適用をあやまり、労組法第一条第二項、刑法第三五条の解釈、適用をあやまったもので、原判決はこの点においても又破棄を免れないものである。

第二点原判決は、最高裁判所大法廷昭和二二年(れ)第三一九号、昭和二四年五月十八日判決(刑集三巻七七二頁)の判例に反するので破棄を免れない。

一 右判決の趣旨

右判決は労組法第一条第二項の適用について「勤労者の団体交渉においても、刑法所定の暴行罪又は脅迫罪に該当する行為が行なわれた場合、常に必らず同法第三五条の適用があり、かかる行為のすべてが正当化せられるものと解することはできない」と判示している。

従って、この判決は団体交渉において刑法所定の暴行罪、又は脅迫罪に該当する行為が行なわれた場合には刑法第三五条の適用がある場合もあり、ない場合もあると判示している。

従って、刑法第三五条の適用の有無は具体的事情によってきまるということになる。

これを判決要旨では、労組法第一条第二項は「勤労者の団体交渉においても、刑法所定の暴行、脅迫にあたる行為が行なわれた場合にまでその適用があることを定めたものではない」とぬき書きし、暴行、脅迫があれば、常に労組法第一条第二項の適用がないのであると歪曲しているのである。

二 学説

団藤教授も、刑法綱要総論において、労組法第一条第二項但書の「暴力」とは、暴行罪における「暴行」よりは強度のものを指すものと解すべきだと思う、とのべ、右判例をこのような趣旨を含むものと解すべきか」とのべておられる。

三 結論

ところが原判決は判示第一の(2) 、第二の(2) の「前に立ちふさがって押し返した」というが如く、刑法所定の暴行罪の構成要件を充足するか否かについて疑問のあるような事実まで、労組法第一条第二項の適用なしとしているのであって、これは明らかに右判例の趣旨に反するのである。

原判決は、この点において破棄を免れない。

第三点原判決は、最高裁昭和三一年一二月一一日判決(昭和二四年(れ)第二二七二号、刑集十巻一六〇五頁)に反する。

一 判決の趣旨

右判決は「組合が争議権を行使して罷業を実施中、所属組合員の一部が罷業から脱退して生産業務に従事した場合においては、組合はかかる就業者に対し、口頭又は文書による平和的説得の方法で就業中止を要求し得ることはいうまでもないが、これらの者に対して暴行、脅迫もしくは威力をもって就業を中止させることは、一般には違法と解すべきである。しかし、このような就業を中止させる行為が違法と認められるかどうかは、正当な同盟罷業、その他の争議行為が実施されるに際しては特に諸般の状況を考慮して、慎重に判断されなければならないことはいうまでもない」というのであって、この事案では、脱退した一部組合員が炭車を連結したガソリン車を進行させるのを阻止するため線路上で怒号して座りこみをしたのを威力業務妨害にならないとしたものであって違法性の問題に立ち入るまでもなく、構成要件不該当の問題として解決したのである。

この労働関係の流動性に着目し、個々的の行為の違法性は「諸般の状況を考慮して、慎重に判断しなければならない」という判旨は、労働関係に対する裁判所の考え方を指導するものとして高く評価されなければならない。

二 本件の交渉の経過に関する価値判断

原判決で引用している一審判決では、団体交渉の経過を略述している。これを団体交渉受認義務の誠実な履行であるかどうか検討してみると、一審判決の認定事実だけを検討してみても、営林署当局が誠実に団体交渉をせず、これを拒否していたこと、従って、法律上非難さるべき立場にあったことが明らかである。その他交渉において、長時間にわたって黙秘を続けて話しあいをすすめないとか、検討と称して官舎にもどって交渉の場に現れてないとか、一見明白な団体交渉拒否の諸事実については一審判決は、右経過の略述においても、これについて触れていないのである。

一審判決の経過の略述について検討してみよう。

1 権限がないといいのがれして交渉をしないこと

二月一六日から二二日まで約五日間にわたり交渉を行なったが、「署当局が団体交渉当事者能力の欠陥を云為し、交渉項目が管理・運営事項に属するから交渉に応じないと主張」したため円滑に行かなかった。

これは、真に当事者能力がなかったり、管理・運営事項に属していたりしたのではなく、交渉をしないための口実であったことは、同年五月一〇日に、数日間の接衝ですべてが妥結していることで明白である。

2 鉢巻に因縁をつけて交渉拒否

鉄道沿線火災予防懇談会に出席するという口実で、二日の交渉休止を署当局が要求し、その抗議に鉢巻をしたら「署当局は鉢巻をとらなければ交渉を開始しないと主張し、写真撮影を行なったため団体交渉は紛糾した」団体交渉の場に、組合が団結の力を示すため諸方法を用いることは当然許されるところである。しかも鉢巻程度のことに威圧を感ずる等といいがかりをつけ交渉を拒否し、写真撮影するに至っては、始めから交渉を混乱させる意図にでたものとされてもやむを得ないであろう。

3 団交ルールに籍口した交渉拒否

二月二一日から署当局と団体交渉を再開したが「へき頭署当局は鉢巻をしないこと等を含む約七項目にわたる団体交渉ルールの問題につき文書による確認を求め……団体交渉は右ルール問題をめぐって決裂し」た旨判示している。交渉ルール等をもち出し、それがきまらなければ団体交渉に入らないと固執して、実質上の団体交渉に入らないのは、団体交渉の拒否と解されていることはアメリカの実務においても、日本の学者においても明白になっていろところである。

4 資料の非公開

「分会においてさきになされた賃金カットの資料の公開方を求めたところ、署当局はこれを拒んだ」のである。

賃金カットされた者が、賃金カットの根拠となる資料の提示を求めることは当然であろうし、資料に基く正確な賃金カットであればその資料の提出を拒む何等の根拠もないことが明らかである。ことに、団体交渉において必要な資料の提出を拒むことは誠実に交渉する態度ではないとされていることは周知の通りである。

5 一方的な交渉打切り

「年度末繁忙を理由に交渉を打切ったので、本件団体交渉は三たび物別れ」となったのである。

団体交渉について、計画、予定等協議しないで、一方的に自己の必要のみを主張して打切るのであれば、到底誠意を以て交渉をすすめる態度といえないことも又周知の通りである。

6 再び「交渉事項ではない」ということで交渉を拒否したこと

「署当局は、中津川事業所移転問題は団体交渉の対象にはならないなどと主張するに至った」のである。

中津川事務所の移転問題については、従業員の労働条件に関する部分は交渉事項であることが明らかであり、現に、後に至って署当局もこれを認めて協定ができている。このように明白な事柄について再び交渉事項ではないといいだして交渉を拒否することは、誠実に交渉を行なう態度とは到底いえない。

7 反対提案をしないこと

四月二八日の「交渉の主題は、超過勤務問題であって、署当局は交渉にあたり数項目の反対提案をした」。

この反対提案は「昭和三四年一月三〇日超過勤務八項目の事項につき、署当局に対し団体交渉を申入れ」て、超勤問題のみ署当局の容れるところとならず、これにつき論議がすすめられてきたのであるが、それに対する反対提案が、実に四月二八日に至って始めてなされたことを示すもので、これは到底誠意を以て交渉をすすめる態度でないことは明白である。

8 再び団体交渉事項でないと主張して紛糾をはかる

一審判決(原判決で引用している)第二の冒頭部分によると「永田署長が二二項目要求および九項目要求中既に解決ずみの要求をも含み、大部分はいわゆる管理運営事項に属し、団体交渉ではないと発言したことから、いたく分会側の憤激を買い」本件の紛糾となったものである。

これは単なる不誠意というだけでなく、今まで解決ずみのことを含めて団体交渉事項でないといって、御破産にしようということをいえば、紛糾することが明白であるから、故意に交渉を混乱させようとする実に悪質な態度であるといわなければならない。

9 上述のように、経過自体を団交権、団交受認義務に関する学説、実務に照らしてみると、署当局の態度が誠実に団体交渉をすすめる態度ではなく、これを拒否し、故意に紛糾させようとしつづけてきたことがわかるのである。

本件が団体交渉の続行を求めた際生じたことであることを考えれば、前記判例にいう「諸般の事情」の中には団体交渉が紛糾するについて誰が非難さるべきかということが大きな問題として考慮されなければならない。従って、前記交渉の経過に関する諸事実につき、価値判断を加えなければ「諸般の事情」を「慎重に考慮」したことにならないことは明白である。

三 原判決の判例違背

ところが原判決は、理由中一、原判示「本件発生に至るまでの経緯」の部分において「右判示はあくまで経緯の概略を示すのが趣旨であり、更につき進めて、当局側あるいは組合側の措置の当否を説示するのはその目的でないのであるから、原判決がこれを示さなかったのは当然である」と判示している。本件に至るまでの団体交渉の経緯については何らの価値判断を加える必要がないということに帰着する。

従って、この判示は、原判決(それに引用される第一審判決)の第一の(2) 、(4) 、(5) 、(6) 、(7) 及び第二の(2) の各事実について、これらの行為が違法と認められるかどうかについて、「諸般の事情」を「慎重に検討すべし」とする前記判例の趣旨に明らかに反するものである。

第四点原判決は、昭和三七年(あ)第一一六八号事件、昭和三九年三月一〇日最高裁判決(所謂長崎相銀事件)の趣旨に明らかに相反するものである。

右事件は、福岡高裁昭和三六年第(う)六二二号、昭和三七年四月一一日判決の事件の上告審で、前記三友炭坑事件(昭和二四年(れ)二二七二号)の判例と趣旨を共通にするものである。

右事件の一審判決の認定によると、

「本件は闘争中の組合内部における統制違反者に対し事情聴取と説得のために召喚が決定され、その召喚の伝達に関連して惹起されたものであり、被告人らは右決定の実行を企図したのみであり、この機を失しては他に適当な機会なしと性急にことに処したが他意があったわけではない。本件行為の態様も猪又の両腕をつかみ数分間同人をしてその束縛から開放さるべくもがくに至らしめたに過ぎず、その間数回にわたり静かに話合おうと申向け、同人の承諾を得他に何等暴行、脅迫も行なわれていないことなど諸般の事情を考慮すれば、本件所為は、社会観念上公序良俗に反したものというを得ず、実質的違法性を欠くべきものと解するのが相当である」

として逮捕罪の構成要件に該当する事実を認定しながら違法性を否定し無罪の判決をした。

控訴審においては「未だ以て、違法に人を逮捕したものというに足りない」として、構成要件に該当しないとしている。

そこで検討してみると、組合内部の統制違反者の市民法上の自由権に比して、団体交渉の当事者たる使用者側各個人の市民法上の自由権の方がより厚く保護さるべきだという法理もない。又、組合内部の統制違反に対する措置の方が、団体交渉の継続を求めるよりも法的価値が高いという法理もない。

従って、原判決に引用される第一審判決判示第一の(2) 、(5) 、(6) 、(7) 及び判示第二の(2) の各所為は「前に立妨がって、数回押しかえした」か、あるいは椅子をうごかして団交再開を求めた等にすぎず右判例の「猪又の両腕をつかみ数分間同人をしてその束縛から開放さるべくもがくに至らしめた」事案と比較し行為の態様、性質を比較して、より非難に価するものとすることもできない。

よって、右各判示事実について「組合活動としては明らかに行きすぎた暴力行使であり、当時の当局側の態様と諸般の状況を考慮してみても、右行為が構成要件に該当しないものであるとか、社会的に相当な行為で違法性がないものであるとは認められない」と判示しているので、右判例の趣旨に反するものである。原判決は、この点においても又、破棄を免れない。

第五点原判決は大阪高等裁判所昭和四〇年五月一七日判決に違反し、高等裁判所の判例に反する。

右高裁判例というのは、昭和三九年六月二日神戸地裁判決(全電波事件)について、無罪判決があったので、これに対し、検察官が控訴したのに対し、事実誤認等がないということで、これを棄却した判決で、判例集にはまだのっていないものである。

一 事実

そこで、右一審判決を検討してみると、一審判決は「午後五時前頃、村上の前記沈黙に業を煮やした被告人も執行委員らにまじり、部長席近くまで進んで大声で村上に抗議していたこと、同日午後五時をすぎるとともに一般組合員も十数名部長室につめかけ始めたのに対し、村上は『今から帰る』といって椅子から立ち上り帰りかけたこと、これを見て執行委員をはじめ組合員がいきりたち『帰れるものなら帰ってみい』などと激しい言葉を浴びせながら、村上を取り巻くようにしたこと、村上はこれに構わず、隣の管理課に通ずる出入口に向って歩き出したが、執行委員らは村上の前面に立ち向ったまま村上の歩くにつれて後退を始めた……右出入口附近で、執行委員らが村上の退出を阻止すべく寄り集った……こと、村上は室外に出ようとして右のように立ち並ぶ執行委員らの人垣を強行に押し分けて前進したためこれを阻止しようとする組合員らと互いに体が接触し、右出入口附近でもみ合いが起ったこと、その結果、村上が二、三回床の上に転倒したこと」の事実を認定し、

「被告人は……退庁時刻にいたったので退出しようとしたためこれを阻止しようとして数名の組合員とともにその前方に立ちふさがり、いきなり両手で村上の両肩を押して床の上に転倒させ、よって村上に対し約一五日間の加療を要する右肘関節部挫傷及び内出血を負わせたものである」との公訴事実に対し「立ちふさがり」の点については、何等これを訴因としては取りあげず、訴因の変更を命ずることもなく村上の転倒が被告人の暴行によるものであるかどうかについて、証拠がない旨を以て、無罪の判決をしている。

検察官の控訴について、昭和四〇年五月一七日大阪高等裁判所は、原判決を支持する旨の判決をし、この判決は上告がなく確定しているのである。

二 本件との比較

右判決を分析すれば、村上が退出しようとして、これを阻止しようとする組合員らと互いに体が接触し、右出入口付近で、もみ合いがおこった事実は、本件原判決の判示第一の(2) 及び第二の(2) 各認定事実と、事実関係が酷似していることに容易に気付くのである。それのみでなく、立ちふさがって数回押しかえした旨の、本件判示事実と比較すれば「もみ合いがおこり、その結果、村上が二、三回転倒した」右事件は、阻止の行為がはるかに強度であったことを十分示しているのである。

この強度の阻止行為についても、阻止行為自体は前述の通り、検察官によっても訴因として取扱われず、裁判所も自明のこととして、訴因として取扱っていないのである。しかして、この態度は前記高等裁判所の判決においても、明らかに維持されているのである。

これは、交渉を一方的に打切って、強引に退席しようとする管理者に対し、これを一応とどめて、交渉を求めること自体何等非難すべき行為に当らないことが、検察官にも、裁判所にも、自明のこととなっていることを示すのである。

従って、原判決に引用される第一審判決の第一の(2) 及び第二の(2) の各認定事実について、前述の通り「組合活動として明かに行きすぎた暴力行使である」旨判示した原判決は、右高裁判決と矛盾していること明らかであり、破棄を免れないのである。

第六点原判決は、団交権の歴史的性格からみて使用者による団体交渉権の侵害を認容し、労働組合員の団体交渉権の行使を一方的に有罪としたものであるので、憲法第二八条及び同第三七条に違反する。

一 原判決は、本件行為の評価にとって不可欠である団体交渉の経過の解明と評価を避けている。

本件は、労使の団交をめぐって発生したものであって、「労働者の行為の違法性ないし可責性は使用者の態度とりわけ挑発的態度をとったか否か、使用者の誠意、団体交渉の対象たる事項などを総合して」つまり「諸般の状況を考慮して」判断されなければならないとされている(学説判例の共通意見)。

ところが、本件における原判決は、使用者側の態度の解明すなわち本件団体交渉の経過の解明を完全に避けている。原判決はいっている、次のとおり。

「原判決挙示の関係証拠によると、本件発生に至る経緯の概略は、原判示のとおりであることが認定し得られる。右経緯中原判決が特別判示しなかった事実(例えば四月二八日の中津川問題)があることや用語上正確を欠いた点……があることなど認められるが、これらの事をもって特に判決に影響を及ぼす誤認があるものとはなし得ない。また右判示はあくまで経緯の概略を示すのが趣旨であり、更につき進めて、当局側あるいは組合側の措置の当否を説示するのはその目的でないのであるから、原判決がこれを示さなかったのは当然である……」

しかし、本件発生の経緯中、「原判決が特別判示しなかった」四月二八日中津川問題は、本件発生の直接的契機としても、もっとも重要であり、それを省略して本件発生の経緯が正しく把握できるはずはない。また「経緯の概略が原判決のとおりである」かどうかは争点であって、被告人、弁護人は原判示の誤りを指摘してきたのである。とくに「当局側……の措置の当否を説示……しなかったのは当然である」とは一体何ということなのだろうか。当局側の措置に対応して組合側の行為がなされるのであって、前者の当否を問わなければ、後者の有形力の行使についても、その社会的妥当性の有無は判定しようがないはずである。原判決の立場は、要するに「諸般の情況」を考慮しないというのであって完全に間違っている。

原判決には、予断・偏見というようなもの、あるいは審理不尽・不公平審理というものが感じられる。裁判の公平を期し難きことについて、D・N・プリットとR・フリーマンは次のようにいっている。

「第一は裁判官の地位に関するものである。裁判官は他の人々と同じく、その時代、教育、階級の産物であり、彼らを導く見解は不可避的にその階級のそれである。……ボンベイの首席裁判官M・C・シャグラ氏……は判決にいたる過程で、社会正義の定義の問題を取り扱いながら、正当にもつぎのように述べている。『裁判所や裁判官が特定の問題をいかに扱うかは、その生活および社会にたいする考え方によって影響され、色づけられる。』

そしてイギリスの裁判官は、自分たちとまったく異なった生活を送り、自ら直面したことのない問題に直面し、その経済的事情や社会観のほうが自分たちのそれに近い使用者を向うに回して闘っている男女の行為にたいして判決を行なわなければならない。彼らが堅持する義務のある不偏不党性は相対的で不完全なものである。……一週間の解雇予告を受けたことのない安楽な老人が、それ以外のものを与えられたことのない労働者にたいしてなす、おばあさん的な助言のように見える古くさい裁判官の言葉を読むと-これらの例はその時代と階級によって形成され、正当なものとして教えられてきた社会・経済観を適用する人々の正直な言葉以外のなにものでもないことを思い出すであろう。

……労働者と使用者は異なった基準をもつばかりでなく、相互に不完全にしか相手の基準を理解しえない。そして裁判官は、必然的にその環境によって、もっぱら使用者の基準しか完全に理解しえないように規定されている。」

原判決の判示にも同じ傾向がみえるのではなかろうか。

本件は、当局側の長い間にわたる団交権の極端なじゅうりんに対応して起ったものなのである。だから、まず、その当局側の態度に対して、はっきりした判断を下さなければならないのである。ところが原判決は当局側の団交権侵害に対する被告側の非難に耳を借さないどころか、結果的にはそれを認容している。これは許されないことだ。

二 団交権侵害の状況-極限まできているじゅうりん

本件団交の特徴は、一方の当局側による計画的な極端な実質上の団交拒否に対する、他方組合側の長い期間にわたる忍耐であろう。

団交の実態がどのようなものであったかについては、すでに一、二審で繰り返し述べられてきたので、ここでは若干の特徴の指摘だけに留める。

第一には、それは異例の長期間の交渉であったことである。二月二日に始まり、五月十日に妥結するまで九八日間。本件はこの期間の末期に発生した。

第二には、交渉項目の最大の問題さえ、すでに他署で解決済みであり、その解決済みの案さえ当局は拒否していたこと。それは、当局側管理者内部でさえ、「郡山でできて、猪苗代でできないということはないはず」(一審稲木証人)といっていることからも、解決できなかった原因は当局だけにあったことは明瞭である。

第三、当局が、わざと団交の遷延、紛糾を計ったことの形跡が数多くあること。例えば従来の慣行を破って事新たに団交ルールを持ち出したりするなど、当局側永田署長でさえ、「団交ルールについてあまり時間を費しすぎたと考えている」(一審永田証言)ほどである。団交席上の当局側発言がデタラメであり、しかもくるくる変り、その防止策として組合側からテープレコーダーが設置されるに至ったこと。またそのあまりのひどさはついに当局が陳謝文まで提出しているほどであること。

第四、当局は、労務関係ハンドブックや毎日のような営林局からの直接指示をうけ、上局のあやつり人形であったこと。こんな当事者による団交が紛糾しないはずはない。それについては、当時の林野庁後藤職員課長でさえ、「団体交渉が紛糾したのは、当局側で幹部の管理者の権限能力を制限し、あるいは剥奪して、手をしばり足をしばるような状態で全然下部に解決、当事者能力を与えなかったことによる」(一審神山証言)といっていること。管理運営事項をたてとしての団交拒否については、中山和久早大助教授も次のように書いていること。「合理化がいっそう進みはじめると、公労法第八条にある管理運営事項は無限に近いほど拡大されていった。たとえば、林野庁が発行した労務管理の手引書をみると、管理運営事項に属する事柄が際限もなく書き立てられている。山の営林署の建物の窓ガラスが割れたために、組合がガラスを入れろと交渉した際、営林署の署長は『窓ガラスは施設であってその管理運営権は署長がこれをもっている。したがって、ガラス窓の破損については交渉の対象とならない』と回答したという笑い話が残っている」と。

以上の他にも、団交侵害の実態についてまだ書くべきことはあるけれども、このような状態は、憲法や労働法には、団体交渉権が書かれていても、現実に対当局との関係ではそのような権利は存在していないということになるのではなかろうか。

「五月に入り、私たちの要求はわずか二日半で全面的に解決をみました。実に長い闘いでした。それは私たちのささやかな要求を押しつぶそうとする、激しい当局の攻撃との闘いでした」(一審上野被告人陳述)と被告人は述べている。当局はその気になれば、たちまち解決してしまう些細な問題をことさら遷延させて紛糾を計ってきたことがわかるのである。組合側の非常な我慢こそ特筆すべきであろう。

本件四月二八日、五月四日の被告諸君、組合員諸君の行動は、こうした事情のうえに、さらにその日の当局の挑発的な態度によって惹起されたのである。

原判決はこうした極端な団交権のじゅうりんに対してほほかむりしているのである。

三 団交権じゅうりんの容認と一方的処罰

一八七一年のイギリスの古い話であるが、スト破りにたいし「バカ!」といったのを理由に七人の婦人が牢に送られたという。彼女らは法律の保障するストライキ権を侵害する者に対して、ほんのわずかな抵抗を試みたに過ぎなかったのである。彼女らは、自らの権利を守るために、首うなだれて無法者のなすがままに任かせているようなことがなかったばかりに処罰されたのである。ここでは、スト破りの行動との関連なしに、ただ、「バカ!」といったということだけが問責されている。本件においては、果してこれと異なっているであろうか。被告人らは、世上のいわゆる暴力は揮っていない。そこにみられる「有形力の行使」は、ただ団体交渉を有効ならしめるための、一定の団結にもとづく使用者に対する強制である。被告人らの行動は、当局の団体交渉権否認の態様と切り離しては考えられないはずである。それなのに、原判決は、ただ、被告人らの有形的な動作だけをみようとしている。このことは、すでに前述したとおりであるし、さらに判決理由の次の箇所からも伺われる。

「……当局側の態度に批判さるべきものがあるとしても……被告人らの所為は組合活動として明らかに行き過ぎた暴力行使であり」とか「団体交渉のための行動としては明らかに行き過ぎで当局側に対する正当な対抗行為の範ちゅうに入るものでなく」など。

当局側の態度について明確な評価もせずに、一方的に被告人らだけを「明らかに行き過ぎである」というのである。

しかし、このような観点、価値判断の基準が誤りであることは、これまでの歴史もまた証明してきている。裁判所も、しばしば、このような誤りを犯してきたのである。その過程の全体に対しては、D・N・プリットとR・フリーマンの次の言葉があてはまるであろう。

「立法によっていやいやながらも与えられたものは、裁判所によって取り上げられる傾向があった。一定の制限内で労働者が団結することは合法であったが、労働者がその労働条件を改善することのできるような強力な団結を行なうにいたると、彼らはなんらかの罪名で被告席に立たされた。彼らは団結し、ストライキをする権利を、自分たちおよび子孫のためにかち取り、確立したのであるから、彼らの闘争と受難は、当時考えられたよりも今日はるかに重要性を認められている。」

団体交渉は、いうまでもなく、当局者に一定の受認義務を課している。通常の市民生活を超えたこの不自由の義務を考慮できずに、ただ、被告人の動きにのみ目をうばわれて不愉快に思う人には、次の先例を味わって欲しいと思う。前述の著者達は、団体交渉についてではないが、ピケッティングの判決例について書いている。

「一八七六年Reg.V.Bauld 事件を審理したハッドルストン男爵は、……いくらか老婆心をあらわす言葉でピケッティングに関する法に違反したとされた被告らにたいし、つぎのように説示している。

『しつこくあちこち他人を尾行してはならない。ピケッティングはきわめてこれに近いものであり、ピケッティングを選ぶのはもっとも危険な道であることをあなたたちの利益のためにいっておく…。しかし、努力して違法なことをせず、誤った慣習から身を守ることはきわめてむずかしく、また危険なことである。自らの行動によって、自らのピケットする権利を主張しようとすると往々にして間違いなく困難におちいる。なぜなら、あなたたちの意向にかかわりなく、あなたたちの若干の者があなたたちの意図する法律が免除している範囲内"

被告らにたいし、まず、法は今日、被告らと親方とにたいして完全に公正かつ平等であると述べたこの学識豊かな判事は結局において法の解釈はきわめてむずかしく、もし起訴されるのを免れんとすれば、ピケットもストライキもしない、つまり被告らの二つの基本的な武器を捨てることがもっとも安全な道であると述べたのである。」

さらに一九六七年のイギリスの仕立屋の争議事件の記録によって、

「彼が判事となった事件において開陳し、かつ適用する機会を与えられたきわめて反動的な見解の持ち主としても、彼と並ぶものは少ない。彼(ブラムウェル男爵)はピケッティングに関して、陪審にたいし以下のように説示している。『たとえ陪審が、ピケットを行なった者はその義務以上のことをなさなかったと考えたにしても……、なおその行動が監視され、不機嫌な顔に出合うおそれのあるため、通常人の心に尻込みさせるような影響を与えるように計算されているなら、この国の法律により許されていないのである……。陪審は、ピケットが監視と監察にとどまる場合にも労働者の心に影響を与えるほど重要な妨害を構成すると考えるならば、三名の者は有罪なりと考えなければならない。』

ピケッティングはいうまでもなく、なんらかの理由で使用者と闘争している労働者と同調しない者の心に影響を与えるよう計算されており、したがって『監視と監察』が『労働者の心に影響を与える』や否や違法になるということはどんなピケッティングでも、すべてこれは違法視されるということである。」

以上の著述のピケッティングという言葉を団体交渉という言葉に置き換えても差しつかえはないし、そうすれば、これらの引用と指摘は、本件と原判決にあてはまるといってよい。

ハッドルストン男爵やブラムウェル男爵の時代に逆行した反動的思考-これと原判決の思考とにどこか違ったものがあるだろうか。

しかも、イギリスの男爵判事には、憲法はなかったのだが、日本の裁判官の前には、憲法第二八条があるというのに。

被告人らの本件行為は、自らの権利をまもるためにやむを得ない必然的なものであった。そして権利はそうしなければ、非道な当局に対して擁護できないのであるから、彼らの行為は正当だったのである。

これを有責とする原判決が、憲法第二八条に違反していることは当然である。さらに、原判決の処断の仕方は、当局者の憲法じゅうりんの態度を問責せずに、一方的に被告人らを有罪としたものであるから、不公平な裁判であり、憲法第三七条第一項にも違反しているといわなくてはならない。

第七点原判決は、ILO九八号条約及び同八七号条約と「確立された国際慣例法」に基づくILO実情調査調停委員会の勧告に違背し、したがって憲法第九八条第二項に違反している。

一 ILO条約の憲法上の効力

日本国憲法第九八条第二項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規はこれを誠実に遵守することを必要とする」と定めている。

ところで日本は一九一九年のベルサイユ平和条約第一三編「労働」の規定にもとづいて設置されたILO(国際労働機関)に当初から加盟していたのであるが、戦後、一九五一年第三四回総会において、再び加盟を許された。これによってわが国は、ILOの設定する国際条約や勧告に拘束されるか少なくともそれを指針としなければならないことを義務づけられたのである。

とくにわが国は、ILO総会が採択した条約のうち労働者の団結権、団体交渉権に関するものとしては一九五三年七月に九八号条約を、一九六五年五月八七号条約を批准している。ILO条約の法的性格は義務創設文書であって、批准した国を拘束するのである。ILO憲章第一九条第五項(b)はこのことを、「加盟国は当該事項について権限のある機関の同意を得たときは、条約の正式の批准を事務局長に通知し、且つ、条約の規定を実施するために必要な措置を執る」と明記している。したがって加盟国は、現行国内法または行政措置が条約の規定に抵触する場合には、これを廃止または改正しなければならない。条約によってはその規定を完全に実施するためには、政府としてなんらかの積極的措置をとらなければならない条約もあるということになるのである。

九八号条約と八七号条約を批准した以上、わが国がそれによって法的拘束をうけることは疑いがないのである。とくに右条約が憲法に抵触するなら格別、わが国憲法第二八条等の規定趣旨にそむかず、その範囲内にとどまっている以上、条約の効力は争うことのできないものである。

二 ILO実情調査調停委員会すなわちいわゆるドライヤー委員会報告の法的性格

去る八月末、ドライヤーを委員長とするILO実情調査委員会が尨大な報告書を公表したとき、日本の世論はこれに対して多大の関心を寄せた。なぜなら、この報告書は、日本における労働組合権=団結権の侵害に関して公式勧告を盛りこんだILOの公式の判断と受けとられたからである。事実それは、ILO理事会による承認が残されているとはいえ、ILOの公式判断であり、将来とるべき措置についてILOの公式勧告というべきものである。そしてそうであれば、それは日本国憲法に抵触しない部分についてはILO条約の具体化として批准された条約の一部としての効力をもつものと考えられなければならない。

もともと、実情調査調停委員会は、団結の自由の保護を実効あらしめるために設けられた機関であった。花見忠、ILOと日本の団結権によれば、その設立の経緯は次のようなことであった。

「第二次大戦終了直後、国連の経済社会理事会、国連総会、ILO総会で結社の自由の問題がとりあげられたとき、いずれの会議においても、団結の自由を確保する特別の機関の設置の必要性が認められた。とくに一九四七年ILO総会はWFTU(世界労連)とAFL(アメリカ労働総同盟)の国連にたいする覚書のうち、労働組合権の行使を国際的に監視するための常設的機関を設立すべきであるという提案部分について、「結社の自由を保障するための国際的機関に関する決議」を採択した。この決議にもとづいて、ILOに結社の自由に関する実情調査調停委員会が設置された。

この委員会の委員は理事会で国籍のいかんにかかわらず個人的能力を基準として任命され、委員会の目的は、ILO理事会または国連社会経済理事会の付託する、政府および労使団体よりの申立を審査し、その結果を理事会に報告することにあるとされている。そしてその報告にもとづいて理事会はいかなる措置をとるべきかを決めることになる。最終的な権限は理事会にあるとはいえ、実情調査調停委員会の結論が事実上決定的であることは、今回のドライヤー委員会の例でも証明済みだといえる。それは、とくにこの委員会へ事案を付託するためには被申立国政府の承諾が必要だとされていることによっても、委員会付託を承諾した政府に対して一定の拘束力をもつことは当然だといえるのではなかろうか。この実情調査委員会の結論の国際的権威を計る目安として、この委員会の予備審査を行なうために設置された結社の自由に関する委員会の調査と勧告がどのように国際的に通用しているかをみてみよう。前述の花見忠氏の著作によれば、結社の自由委員会の機能は次のとおりである。

「結社の自由委員会は一九五一年一一月に設置された。政府、使用者、労働者の各グループから三名ずつの選ばれる九名の委員によって構成される。この委員会は個々の苦情申立の政府の所見について全般的な予備審査を行ない、理事会にたいしその問題のより徹底的な審査が必要かどうかについて意見を具申することをその主要任務とする。結社の自由委員会は、申立がそれ以上の審議を要しないと判明した場合には、理事会にたいし事件の棚上げを勧告する。また苦情申立がさらに審査を要すると考えられる場合には、理事会にたいして事件を実情調査調停委員会に付託するよう勧告する。ただし、この付託には関係国政府の承認が必要であり、このため実情調査委員会はこれまで開かれたことがない。

そこで結社の自由委員会は理事会においてこれ以上審査の必要がないと勧告する場合にも、被申立国の労働組合の法律上または事実上の状態について若干の留保を付する必要を認める場合には、この状態を是正するよう当該国政府の注意を喚起すべきことを理事会に勧告することが認められるに至った。この委員会の勧告は当該国政府に通知され、これにより事件の審査は終結する。ただし委員会はその勧告の実施状況につき確認を行なうため、勧告にもとづいてとった措置を事務局長を通じ、委員会に引き続き通報するよう当該国政府に要請することができる。

このような手続の進め方によって、多数の国の政府が事実上こうした勧告にしたがって措置を行ない、むしろ司法機関でないこの委員会が結社の自由および団結権保護条約、ならびに団結権および団体交渉権条約の諸規定の適用範囲を明確にし、これらの条約で保障された諸権利の実現に大きな役割を果している。」

結社の自由委員会の勧告にさえ各国の政府はしたがって措置をとっているということである。まして日本に関する一七九号事件についてILO結社の自由委員会が度重なる勧告を行なった後、日本政府がはじまって以来の実情調査調停委員会の活動開始に同意した以上、ドライヤー委員会の勧告と判断は、それが憲法と矛盾しない限り、日本において批准されたILO条約の一部として国際規範として妥当するというべきなのである。

三 ILO条約とドライヤー報告は最低の国際的基準

ILO条約は、日本国憲法の労働者権の保障に比較すればせいぜい国際的な最低基準を示しているにすぎないと考えるべきである。

ILOの性格について野村平爾早大教授は次のようにいっている。

「ILO自体や理事会自体は、本質的に労働権の徹底的な伸長を考えるについては、過大な期待をもてるような性格を必ずしも持っていない。すなわちILOは政府代表二、資本家代表一、労働者代表一という構成で、総会も理事会もできていること、参加一一九ヵ国のうち社会主義国の比重は極めて低いということ、そこではつねにそうしたさまざまのレベルの国々に共通に要求できる程度の事柄をいわば妥協的につくり上げざるをえないものであることなどである。だから、そこで出される結論(条約・勧告など)は決して、労働者側の権利にとって必ずしも格調の高いものではないことであった。

もちろん、八七号や九八号条約は、第二次世界戦争後の国際労働者階級の強大となった発言力に支えられた、もともと団結権の擁護、団交権の伸長を考えての条約ではある。しかしそれは団結権について政府も資本家も承認する程度の国際的レベルを示したものにすぎない。」

さらに、ILOの性格を示す二、三のケースをILOの歴史から拾ってみよう。戦前の日本の労働者は早くもILOの偽瞞的な役割を指摘したことがあった。すなわち、一九二二年、日本労働総同盟は、ILO事務局や世界各国の労働団体にあて檄文を発送したという。その檄文は、ILOの創設せられた動機および趣旨が新興労働階級を懐柔せんとするにあることを指摘し、次ぎに、ILOが日本の組織労働者の反対した労働代表の資格を容認したことを非難し、第三にILO総会で決定されたことがほとんど日本国内で実施されない事実を挙げ、結論として「われら日本の組織ある労働者は有害無益なる国際労働会議が速やかに廃止せられんことを希望す」と述べ、各国の労働団体にたいし、ILOへの代表派遣を中止し、この会議を無効に帰せしめ、その代わりに諸国政府の統制を離れて、直に労働者階級のみの国際会議を開くべきことを提唱したものであった。

その後、ILO労働代表の選出方法が改善され、その選挙母体が労働組合におかれたことの結果、若干の分野において労働組合の組織化が進められたが、このような労働代表選出方法の改善は、総同盟内の左右の対立にくさびを打込み左傾化の動きを阻止し、さらには、御用組合ないしこれに近いものの組織化を使用者の諒解のもとに推進していくという役割を果したのであった。これは労働組合運動を労使協調路線にひきずりこみ、労働者の真の権利意識の覚醒を妨げるという反進歩的役割をILOが果したという動かし得ない歴史の実証である。

第二次大戦後において、東西陣営の対立激化に際し、こともあろうに、ILO結社の自由委員会は、ソビエト、チェコスロバキア、ハンガリーの労働者が労働組合権を侵害されているという申立を容れ、実情調査委員会への付託を希望するなどしてILOが社会主義諸国非難の道具にされかけたこともあった。その反面では、日本においての、公安条例による労働者、学生の処罰、共産党員の追放、全労連解散に関してなされた一九五二年四八号事件の申立や、政府の政策に反対している者や公務員の団結権否認、松川事件による組合活動の妨害、スト規制法に関する一九五四年六〇号事件の申立については、結社の自由委員会が審議の必要なしと結論して、実際にとりあげることをしなかったのである。

世界の資本主義諸国において、絶えず頻発し、しかも系統的に行なわれている大小無数の労働基本権の侵害の事実、そのいくつかについて相当の数の申立がありながら、これまで一度も実情調査委員会が開かれず、これぞという救済措置がほとんどとられていないという事実。こうした数多くの事実は、ILOの基本的な性格を明らかにしている。

ILOは今日の世界情勢の中で決して先進的な役割を果すものではなく、反動的側面さえ有し、明瞭な限界を持っているのである。そのILOの条約や勧告に含まれている労働基本権擁護の指摘は、いわば、最低の国際基準を示すものだといってよいのである。そのような最低の水準からみてさえ、非難されなければならないものが、日本の労働問題に存在し、本件団交における使用者の態度もまたそうした恥ずべき非難に値するものなのである。以下にそれをみよう。

四 ILO条約及びドライヤー委員会の指摘と原判決の破棄原因

ILO九八号条約第四条はいう。

「労働協約により雇用条件を規制する目的をもって行なう使用者又は使用者団体と労働者団体との間の自主的交渉のための手続の充分な発達及び利用を奨励し、且つ促進するため必要がある場合には国内事情に適する措置をとらなければならない。」

ILO八七号条約第八条第二項は、

「国内法令は、この条約に規定する保障を阻害するようなものであってはならず、またこれを阻害するようにしてはならない」と定める。

そしてドライヤー委員会は、日本の労働問題についていくつかの勧告を行なったが、そのなかで本件にあてはまるものを若干次に引用したい。これらの引用部分は、直接には、本件当局者の態度に対する勧告であるが、これら団交権、団結権を犯す当局者の態度を原判決が認容して被告らを断罪しているのであるから、そのような当局者の態度を認容することが条約の規定及び委員会の勧告に照らして許されないとすれば、当然原判決は、憲法第九八条第二項によって破棄されなければならない。

1 ストライキ禁止の代償措置と団体交渉について

ドライヤー委員会はいう。

「本委員会は、ストライキの禁止がどの程度労働条件または苦情の救済に関する問題を解決するための満足な代償措置を伴なっているかということを特に慎重に検討した。この目的のための現行の措置が十分であるということについては満足すべき状態から程遠いのである。」

それでは、代償措置であるはずの仲裁裁定の拘束力はどうであろうか。

「それにも拘らず現在の措置は、裁定に対して与えられる努力に関して大きな批判の余地が残されている。」

「裁定および団体協約は両当事者を拘束し、完全かつ迅速に実施されるべきであるという原則は極めて不完全に適用されている。公共企業体等労働関係法のもとでは、労働協約およびある場合において仲裁裁定は、国会または地方公共団体の側で措置をとることにより、また措置をとらないことより無効となる。公共企業体または国有事業の現行予算に計上されていない資金の支出を必要とする公共企業体等労働委員会の仲裁裁定は、追加予算のため国会に付議されたあとでなければ実施され得ない。地方公共企業体の条例に抵触しまた資金上不可能な資金の支出を要する地方公営企業等労働関係法のもとにおける労働協約および仲裁裁定は条例が改正されるか予算が計上されるまでは実施できない。提訴人らは多くの協定がこれらの理由により拒否されており、またこのような規定が存在するだけで不利な協定のみが締結されることを意味する、と申立ている。政府は現行の手続きに実質的な変更を加える意志のあることはなんら示していない。」

「本委員会の見解としては、これらの法律の規定およびこれらに起因する慣行の存在は団体交渉および仲裁手続きの公平性と有用性に対する信頼は損なわれざるをえない。したがって、本委員会は、右に述べた状態が、結社の自由委員会の勧告に照して、早期にかつ十分に再検討されるよう勧告する。地方の公的役務については、ストライキは絶対的に禁止されている。」

代償措置がこのようなものであればあるほど団体交渉の重要性は増してくる。

ドライヤー委員会はいう。

「まず第一は、政府は全体として、省庁、地方当局、公共企業体等または地方公営企業体のいずれに雇用されるかをとわず、これらすべての職員に適用される一般的労働政策をもたなければならない。この政策は最低限として、今日すでに日本にとって国際的な義務である結社の自由および団結権保護条約(一九四八年八七号)と、団結権および団体交渉条約(一九四九年九八号)の諸規定を、すべての官公庁労働者に対して、完全に適用することをただちに定めなければならない。」

ところが、すでに述べたように当局は条約の規定趣旨に添うどころか団体交渉を形式的なものとし、実質上の団交拒否を行ってきたのである。この態度は、ドライヤー委員会の勧告に反する。そしてこのような団交権侵害については、その場で適切な防衛をしなければ、権利はうしなわれ、事後の申立や救済命令によってはとり返しがつかないのである。本件被告人らの行為はそのような防衛のための行為だったのである。原判決は、このドライヤー勧告に反する当局側態度を認容しているので破棄されるべきである。

2 団交拒否傾向の一般的問題について

ドライヤー委員会の指摘は次のとおり。

「一方において政府および多くの地方公共団体の態度は本委員会に対してなされた『交渉は陳情である』という証言によってよく特徴づけられている。本委員会に提出された証拠は、公共部門における交渉過程に及ぼすこの態度の影響を示している。一九六五年一月本委員会が日本を訪問した際に雇主たる当局が交渉過程に参加することを拒否し、また交渉を無効もしくは無益のものとなしうる多くの異なる方法があった。

すなわち、組合の承認拒否、組合に対する差別待遇、討議事項の一方的な制限、または中央段階で決定された政策の地方レベルでの厳格な適用などがそれである。かくして非組合員が組合の役員となっているとき、または組合が登録されていない場合は、すべての交渉が拒否された。討議を求められた事項が、たとえば管理運営に関する事項のように、当局の独断によって討議の範囲外であるとされるとき、または人事院規則一四条に定める懲戒事項であるときは交渉は拒否された。ある懲戒処分が労働条件と関係がないと主張するだけでその事項を交渉議題から除外するために十分であった。不満分子によって対立組合が結成されたときは当局は交渉プログラムに対立組合が平等な立場で含めることによって旧組合の効果を害なうことができた。対立組合は、研究団体として認められ、よって当局の財政援助をうける資格を取得することができ、また旧組合を脱退して対立組合に加入した者には報償が与えられ、特別に優遇されうる。これに加えて全国組合または県本部役員が雇主たる地方公共当局の同意を得ることなく地方交渉に出席したとき、または当局が組合代表者の行動を「不適当」と認めたときは、交渉を中止することができた。交渉の過程は、当局が決定することのできる交渉時間の制限によってさえ影響をうけた。さらに管理または監督職員であると指定されることによって、労働者のグループ全体が団結権、したがって交渉権から除外されることが可能であった。交渉が成功裡に妥結したときにおいてさえ、公共団体の予算権の留保は、協定を無効にすることができた。県または地方レベルで締結されたいかなる協定も、その後条例の抵触しているという理由による不承認または拒否のいずれかによって無効化とされることが可能であった。

「この事態を改善するため、すでに法律および慣行に多くの大幅な変化が行なわれているが、今後も引き続き変化が必要とされる。この問題全体のもつ尖鋭さは、この背景に照らしてのみ十分に理解されうるものである。」

本件当局者もまた、「交渉は陳情である」と考えていたことは、例えば、団交当初、「机をドカンとたたいて組合員を威嚇したりした」(一審五十嵐証言)ことにもあらわれている。「交渉時間の制限」も「団交の一方的打切り、勤務時間以外はやらないという慣行無視、協約ねじまげの交渉態度を当局がとるようになった」(一審神山、小田他の証言)ことから本件当局の実行するところであったことは争いがない。「組合代表者の行動を不適当と認めたときの交渉中止」も、本件ではしばしば行なわれたし、その典型は、五月四日の打切りであり、しかもそれは、全くのいいがかりともいうべきものであった。

以上いくつかの点について、当局側態度の勧告違反は明らかである。

3 団交ルールについて

ドライヤー委員会の指摘は、団交の手続と方法についても触れているが、本件もまた、このルールをめぐって遷延させられ、紛糾させられたのであった(一審五十嵐、永田証人)。

「修正された各法律には、交渉の方法と手続に関する詳細な規定が設けられている。たとえば、交渉は、職員団体によって、その団体の役員のなかから任命されたものと、適切な当局の任命したものとの間で、関係する両者間で事前に同意したそのような代表者の一定の数の範囲内で行なわれると規定されている。交渉実施中に、職員団体と適切な当局は会合の議題、日時、場所、その他交渉に関する必要な事項について事前に同意する、特別な事情下において、もし職員団体が、その役員以外のものを任命した。このような任命をうけたものは、提案された交渉の事項となっている特定の問題について交渉するよう当該職員団体の執行機関によって正式に権限を与えられていることを文書で立証することができねばならない。

また、上記の規定に応じなかった場合、他の職員による業務の遂行を妨害した場合、あるいは政府の業務の正常な遂行(または、場合によっては、地方公共機関の業務の正常な運営)を阻害した場合その交渉は中止されることがある、と規定されている。」

「当委員会は、一方において、これらの諸規定は、交渉の進行に規律と秩序という必要な要素を導入するねらいをもったものであるかもしれないと認めるが、その反面、当委員会は、この目的に対するこれらの諸規定の価値について深刻な疑問を抱く。一般的にいって、最も成功的な労使間の交渉の手続きは、法律による規定によって詳細に決めるよりはむしろ当事者双方によって簡明な慣行として徐々に発展するものである。このような慣行は、協約ないし了解事項として文書に書込まれることもあるし、あるいは、たんに、調和的で実行し得るものとして当事者双方によって受入れられることもある。」

本件当局者の態度がこの勧告に違反することも明らかである。

4 管理運営事項について

ドライヤー委員会の指摘次のとおり。

「修正された法律では、政府の業務の管理と運営に影響する事項は、交渉範囲から除外されるべきであると規定されている。この規定の適用は、現実に深刻な困難を惹起するかもしれない。第一義的に、あるいは基本的に政府の業務の管理運営に明らかに属する特定の事項はある。これらの事項は、道理的に、交渉の範囲外のものとみなすことができる。そのほか特定の事項は、第一義的に、あるいは基本的に、雇用条件に関する問題であることも、同様に明白である。しかし、管理運営と雇用条件の双方に影響する問題が多くあることを認識せねばならない。現在のケースはすでに発生しているいくつかのこのような事項のうち、たんにふたつだけを指摘してみると職員の定員の問題があり、また職員の配置転換の問題がある。この性質の問題は、相互の真面目さと信頼感というふん囲気のなかで行なわれる団体交渉の枠外の問題とみなされるべきではない。」

「当委員会は"4;という辞句の厳密な範囲を完全に描写しようとすることは可能ではないだろうということに賛成はするがそれでもなお、当委員会は、継続中の討議のなかで、実際的に、どこに区別の線を引くべきであるかについて、よりよき了解に達するよう努力すべきであると勧告する。」

「とくに、関係当局が、誠意と正当性という原則に沿って"来決定するにあたり、方向づけられるよう希望する。職員団体の交渉権に対する各種の制約の除去を示唆した当委員会のこれまでの勧告は、交渉議題が、純粋に使用者の決定に属する問題であるとの理由によって、これを団体交渉の枠から除去することによっては、実際問題として効果を失なうだろうということは、当委員会には明らかである。」

本件当局の態度はこれらの指摘に完全にあてはまっている。勧告違反であることは疑いない。

5 弾圧を撤回すべきことについて

ドライヤー委員会は処罰を追及しないことについても勧告している。

「このような事情下にあって、当委員会は、政府ならびに労働組合の双方が一九六五年六月一四日、すなわち結社の自由および団結権保護条約の批准書が登録された日以前の事件から発生した申立、苦情、処罰、または資格の剥奪をこれ以上追及しないことに賛成するのが賢明だろうと考える。」

一九六五年六月以前の一九五三年七月にすでにILO九八号条約は批准されたのである。にもかかわらず、当局と官憲は被告人らの処罰に乗り出したのである。それは、勧告の精神に反している。

次にドライヤー委員会は、過去の弾圧を撤回すべきことに言及している。

「未納の過料の免除、および八七条ないし現在修正されている法律の規定に、その解雇が抵触するという情勢のもとで解雇された従業員を、適切な条件で復職させることなどを含む、過去において賦課された、解雇、過料、懲戒など、行政処分について、寛大なジェスチュアを示す積極性をもつことが政府としても可能であると考えるならばこのような一括解決は大いに助成されるだろう。」

原判決が一審判決を破棄しながらも、依然として有罪としていることは、やはり、この勧告の精神に反するのではあるまいか。

第八点原判決は、採証法則についての判例に違反し、証拠の取捨選択ならびに価値判断を誤って事実を誤認した違法を犯したものである。

刑事訴訟法第三一八条は、自由心証主義を定め、証拠の取捨選択ならびに証拠の証明方を、裁判官の自由な判断に委ねている。これはいうまでもなく、裁判官の恣意的な判断を許すものではなく、事態の正しい判断に達するための合目的的な措置と考えられている。したがってこの法規のもとにおいての裁判官の措置ならびに判断は合理的なものであり、世人をなっとくさせるに足りるものでなければならない。されば、最高裁判所の判例も、証拠の取捨選択及び事実の認定は、事実審裁判所の専権に属するが、それは経験則に反してはならない、としているのである。

合理的な選択ならびに判断とは、事実に基づき条理と経験則にしたがうことであり、このことがあって始めて、訴訟関係者と世人を納得せしめることができるのである。ところが原審判決は、全くこの要件に合しておらず、採証法則違反の跡は歴然としている。

一 本件において、証拠の取捨選択および判断の基礎となるべき事実

第一審判決および原審判決の有罪判断の基礎資料は、本件の被害者といわれる猪苗代営林署の管理者である証人たち、即ち紛争のもとになっている労使関係の対立的当事者の証言である。これらの証言が信用するにあたいするかどうかが問題である。

本件の起訴状は、極めてあいまいに記載されているが公訴事実第一、第二をあわせて、およそ一二の行為及び結果が訴追されていた。そのうち、五月四日の紛争に関して、第一審判決は、

「本件公訴事実中『昭和三四年五月四日午後二時三〇分頃被告人石川は、前記署長室内で同署長の右足右腕を約二分間掴んで引っぱり、被告人西坂、同上野の両名は外組合員一名と共に室外で同署長の左足を押さえ、或いは双手を前面に挙げて飛び降りを妨害し、その結果永田署長をして窓外地面に転倒させるに至り』『その頃被瑞l石川、同渡部、同西坂および同大倉の四名は、ほか組合員三、四名と共に同署長を取囲み互いに腕を組み合い手を腰辺に取り輸型スクラムを作って掛声を発し、同署長の周囲を廻りつつ移動し、四、五分間に亘り同人を約二〇米の間連行して署長室に連れ戻し』『もって被告人奥田を除くその余の被告人数人共同して右永田に対し各暴行を加え』たとの点および『その際被告人奥田を除くその余の被告人は右暴行により永田永久に対し全治約一週間を要する後頭部打撲傷、頸部痛の傷害を負わせ』たとの点ならびに判示第二の(3) 記載の暴行により永田永久に対し全治約一週間を要する頸部痛を与えたとの点については、全立証をもってするも右後頭部打撲傷が前記被告人らの妨害行為に基づく転倒によるものと認めるにたるものはなく、また右頸部痛においては、当時永田永久が訴えた頸部痛が前示暴行に基づくものと断定するに足る証拠はない」

として、検察官の主張を斥けている。右判示は、飛びおりの妨害と輸型スクラムにいれて連れ戻したという公訴事実に対する判断が明確ではなく、単に傷害の原因とは認められないと言うにとどまるかにも読めるが、原審判示のとおり犯罪の証明がない。即ち暴行にもならないと判示したものである。

また、原審判決においては、四月二八日に関する公訴事実の中、渡部被告人が、阿部新一の窓からの脱出を制止しようとして、その足首をつかんだ行為を「未だ阿部新一の身体の平穏を害する程の不法な有形力の行使に達せず、従って暴行に該当しないものと認めるのが相当である」として、右公訴事実についての犯罪の成立を否定している。

さらに、原審判決は、本件公訴の最大の焦点である、五月四日に、石川被告人が永田署長に対して体当りをしてつきとばし、その結果永田の右前膊部を金庫に激突させて打撲傷をおわせた点について、体当りの事実を認めてはいるが、

「ただ永田署長が右(1) の暴行のため右前膊部を金庫に激突して打撲傷を受けたこと並びにこの暴行のため後頭部に打撲傷を受けた点に関しては疑のあるところである。即ち記録によると、右永田署長は直ぐその後で窓から、積んであった薪とともにくずれ落ちて窓下に転倒しそのため右各打撲傷を受ける可能性もあったことが窺われ、なお団体交渉を一方的に打ち切り、あれこれいり乱れていた興奮時において、右永田署長が、傷害がいずれの場合に生じたかを間違いなく記憶断定し得るものとなすことには、躊躇せざるを得ないのである。

その他記録、証拠物を検討し、当審における事実取調べの結果を総合しても、右傷害の認定が困難である以上、右永田が同部を署長室東南隅の金庫に激突したと認定することも困難であるといわなければならない」

として、永田の金庫との激突とその結果である右前膊部の負傷を否定している。

右の公訴事実が否認されたもののうち、四月二八日に渡部被告人が阿部新一の足をおさえて制止した点については、第一審裁判所が証拠の判断を誤ったことを示しており、また検察官が証拠もなく起訴したという、労働者に対する弾圧の意図を証明するにとどまろうが、他の場合については、そうではない。それらは、検察官の主張を裏づける証拠が全くないから、無罪になったのではない。営林署の当局側の証人の証言は、委細をつくし、検察官の主張を裏づけているのである。いまそれを若干検討してみよう。

(1)  五月四日、永田に対する飛びおり妨害及びスクラムによる強制連行

永田永久の昭和三五年七月三〇日の証人尋問調書によれば、団体交渉を一方的に打ち切って、団体交渉の場所である署長室から脱出しようとして、北側の窓の敷居の上にあがった永田に対して、石川被告人が永田の足をつかんで、室内の方に引っぱったと証言している。その場合を永田自らが実演し、写真にとられ、右の調書に添付されている。

その場面について、

裁判長「そうすると、右手で回して、左手を足首のちょっと上のところをだな」

検察官「そうでございますね、左手で足首の上を掴み、右手で足をかぐようにして左手の上を掴むとこういう表現になるようです」

裁判長「そしてどういうふうにしたんですか」

永田「それでこちらへこう引いたんです」

検察官「そして室内方向に引張ったと」

検察官「それからあとどういうことをしたんでしょう」

永田「それから今度は石川中闘がわたしの窓に窓のレールの所に上がっておりまして、そこへ石川中闘も上がったわけであります」

検察官「できないならば、そこでやってみて下さい」

永田「それでわたしが上がって向いた方向は先程実地でお示ししました通りであります。そして上がった石川中闘は私と反対側に、つまり先程腕をかかえて室内に引いたような反対の方向になりまして私の腕を今度はかかえまして、やはり室内のほうに引いたわけであります」

検察官「今、最後のところで、腕を引張られて、証人はどうしましたか」

永田「腕を引張られておりましたが、何かの拍子でその腕がするりと抜けたわけであります」

検察官「その腕を引張ったというのは一回ですか、それとも数回ですか、こう引張ったというのは」

永田「一、二回であります」

検察官「一、二回、時間的にはどのくらいありますか」

永田「一分程度であります」

永田があがった窓の外側には、上野被告人、西坂被告人とのちに証人になった坂内悦男がおり窓のそばにつまれた一尺ほどの巾の薪をへだてて、永田に対して、飛びおりるのをとめようとしていた。

検察官「西北端ですね」

永田「あ、西北端に、西坂委員がおりまして、私の足をおさえておりました。それから窓のわきの外側のところには、つまりこちらからいって二人目は」

検察官「まん中ですね」

永田「まん中は上野組合員でありまして、上野組合員は手をあげるような恰好をしておりました」

西坂被告人が、おさえた程度は、中におしこむほどではないが、軽く手をあてているということでなく力が入っており、一分間ぐらいやっていた。そして何かの拍子に石川被告人が手がゆるんだので、外へとびおりたのである。その際に体のバランスを失っていたので足を地面についてから、仰向に転がり、背中と後頭部を地面に打ちつけた。バランスを失った原因について、

検察官「それじゃ又質問を変えまして外に組合員がいなかったり、押えられたり、引張られたりしなければ、自由にとべた状況にあったわけですか」

永田「それはありました」

それから、永田は立ち上がったのであるが、

検察官「立ち上がって後何かおきませんでしたか」

永田「立ち上がった時に私の廻りを組合員が取囲みました」

検察官「取囲こんで何をしたんですか」

永田「いわゆる洗濯デモにかけたわけであります」

検察官「今証人は洗濯デモというようなことをいわれたんですがね、それはどういうことなんですか、どういう行動言語をすることをいうんですか」

永田「私を中心にいたしまして、今申し上げました組合員がそれぞれスクラムを組みまして、わっしょ、わっしょという掛声を掛けながら、わたしの回りをぐるぐると回ったので、これを洗濯デモであると、こういうふうに私は判断したわけであります」

検察官「で、回ってどうする」

永田「回って私をその立ち上がった位置からよそへ移動させたわけであります」

検察官「その位置からどこへ移動させたの」

永田「庁舎の裏入口がございまして、その位置まで移動させました」

検察官「それは直線的に移動したんですか、それとも、じぐざぐコース等で移動しているんですか」

永田「直線的ではなくて、じぐざぐでありました」

検察官「外側だけ回るんでなくてあなたも回るんですか」

永田「私はやはり回ります」

検察官「それはどういうわけで証人が回ることになるんですか」

永田「それはぐるぐる回る回りの組合員の体がわたしの身体にあたりますので、いつも同じ方向に向いておったというわけに参らなかったからであります」

検察官「証人はその間出る努力をしなかったんですか」

永田「いたしました」

検察官「具体的にはどんな具合にして」

永田「途中でしゃがんでみたり、間を抜けようとして手をかけようといたしました」

検察官「それから掻き分けようとしたと云われたんですがね」

永田「はい」

検察官「どういう具合にしたんですか」

永田「手を回りの人に掛けようとしたわけであります」

検察官「それはなんのために掛けるわけですか」

永田「掛けてその中からその輸の中から外へ出ようとしたわけであります」

検察官「掛けて出ようとした場合にどうなりました」

永田「しかし輪がまわっておりますので思ったように外へ出るわけにはいかなかったのであります」

検察官「手をかけたりしたのは、裏入口まで運ばれていかれるまで何回ぐらいあるんです」

永田「二、三回やったと記憶しております」

検察官「それから証人が立ち上がった位置から裏入口あたりまでですね、そのぐるぐる回りながら連れていかれるまでの時間は、どの位かかった」

永田「はっきりした記憶はございませんが、私の感じでは四、五分はかかったように思われます」

検察官「それから証人が立ち上がった位置から裏入口一応今いわれた裏入口というあたりまではどのくらいの距離がございますか」

永田「十五、六米あろうと思います」

検察官「わっしょいわっしょいということもいったと言いましたね」

永田「はい」

検察官「それはどの程度に言うんですか」

永田「みんなが口を、一人だけがわっしょいと言うんじゃなくてみんながわっしょいというふうに発言しております」

検察官「それは一時的ですか、それともずっと続いてたんですか」

永田「ずっと続いておりました」

検察官「裏入口まで行ってどうなりましたか」

永田「そこで裏入口の扉の所から中へ押し込まれたわけであります」

検察官「中に入れられる時に証人は何か特異な行動は示しませんでしたか」

永田「丁度そばにそのドアがございまして、引戸がございまして」

検察官「裏入口ですね」

永田「はい、裏入口の引戸のはしのところに柱がありましたのでその柱に私の左手をつかまりました、左手でつかまったわけであります、そして中に入れられるのを防ぐつもりでありました」

検察官「その左手は離さなかった訳ですか」

永田「離さないで暫く頑張っておりましたが、しまいにははずされたわけであります」

検察官「どんな具合にしてはずされましたか」

永田「その時後から一度逆に押して引張れという声がきこえました」

検察官「そういうことになってからどんな経緯になりましたか」

永田「それで私の指はこう柱に掛ってこちらに引張られておったわけでありますが逆にこう押されてそして手がはずされてそのままずるずる引き込まれたのであります」

以上は被害者といわれる永田永久猪苗代営林署長の証言であるが、右の事実を同じく猪苗代営林署管理者の一人である阿部新一証人の証言によって見てみよう。同証人は昭和三六年二月一日におこなわれた第七回公判調書に記載された証言のなかで、つぎのようにのべている。

永田が窓の敷居の上にあがると、

検察官「組合員の行動のほうはどうですか」

阿部「石川中闘が永田署長の左足をかかえました」

検察官「それからかかえてどうしたんですか」

阿部「飛び下りるのを阻止しました」

検察官「阻止したというのは、具体的にはどういうことでわかったんですか」

阿部「かかえて引張っておりました」

検察官「どっちのほうに引張ったんですか」

阿部「署長室の中のほうです」

検察官「どのくらいの時間そういうことをしてたんですか」

阿部「三、四分ぐらいはあったように記憶してます」

この継続の時間について、阿部は永田に比して大分長いことであったように証言している。

検察官「窓の上でじっとしていた。それからどうなりましたか、三、四分過ぎてから」

阿部「石川中闘が窓の上に上がって、永田署長対向いになりました」

検察官「対向いになってどうしたんですか」

阿部「前後に身体が揺れるのを見ました」

検察官「前後に身体が揺れるというのは二人の体ですか、一人の体ですか」

阿部「二人の身体です」

そして、この時二人が窓の敷居の上にいる様子が写真にとられ、調書に添付されている。石川被告人は、永田を右手で掴み、左手は窓の枠につかまっている。

裁判長「体が揺れたというのは」

阿部「こういうふうに四、五回揺れたように記憶してます」

裁判長「内外にだな」

阿部「はい」

検察官「それからどうなりました」

阿部「永田署長が、窓の左下のほうに落ちるような格好で見えなくなりました」

この落ちるような姿勢とは、

検察官「危険でない程度にできるならば、行動と言葉で説明しながらできるだけ見たとおりのことをやって見て下さい。行動でやりにくかったならば、言葉で説明しながら」

阿部「普通ですと、ぽんと飛ぶわけですが、その姿勢が飛ぶような姿勢になっていなかったという表現であります」

検察官「飛ぶような姿勢というと、どういう姿勢」

阿部「飛ぶような姿勢ですと、普通正常に前なら前のほうに飛びますけれども、それがいつの間にかすっとこう斜め左のほうに転がり落ちたような気がしました」

というのである。そして、永田はバタ薪のそばに、頭を西にして、仰向きにたおれた。

検察官「一分間位、永田証人が、たおれてから後はどうなりましたか」

阿部「私はそれを見てから、表玄関をとおって東側構内をまわって行きました。そうしましたら、永田署長がスクラムの中に入れられていました」

そのスクラムというのは、円形で、直径約一メートルのもので、

阿部「たがいに腕をくみあわせて体をよせ合っていました」

検察官「そのスクラムは、どういう動きを示したんですか」

阿部「まるい形でぐるぐるはまわらないで多少まわったようにして移動したように記憶しています」

検察官「ぐるぐるまわらないで、多少まわっているとはどういうことですか」

阿部「四分の一位まわってはとまり、また移動してから、少しまわったというように記憶しています」

阿部「永田署長がでようとしましたから、それでまわるように移動したわけです」

検察官「四分の一動いて移動してそれからどうなったんですか」

阿部「永田署長がでようとして、最初かき分けようとしたと思います。それからまたかがんで、足の間からぬけでようともしました」

検察官「四分の一動いて移動して、そこでとまりですか」

阿部「ピタッと、とまったわけではありません。それから続きます」

検察官「どういう具合に続くんです」

阿部「ぬけだそうと永田署長がしたんで輪になった人がピタッとくっついてですね、すりびったように記憶していますが」

裁判長「はあ」

阿部「ひきずられたような記憶があります。署長がひきずられて北側へ東向き出入口のほうへひっぱられました」

検察官「ひきずられるというのはどういう具合になったんですか。ひきずられたというのは」

阿部「こう、つかまってでようと、こうやってしまったので、今度はその輪になった方は輪をはずして、今度、署長の体をおさえたわけです」

検察官「輪をはずして、どんな具合に輪をはずして」

阿部「手を署長をつかまえて、ひっぱったんです」

裁判長「ひきずられるところ」

阿部「輪がとけて」

検察官「とけて」

阿部「手をつかまえた人もありますし、肩」

阿部「肩をおさえた者もありました」

阿部「足をもった人も、署長の足ですね」

裁判長「それはみんな見ていたんですか」

阿部「見ていました」

阿部「肩はこういうふうに後から押したように思いました」

裁判長「そのスクラムには、かけ声とか、音声、そういうものはなかったんですか」

阿部「ワッショイ、ワッショイというかけ声がありました」

このときの永田の様子を、阿部証人が自ら再現し、写真がとられているが、それを口頭で補足して、

阿部「一緒にこうなって、手もつかんでおり、手をこういうふうに、つかんで背中、ここんとこ、前のほうへひっぱった人もいるし、こんなふうなかっこうだったように思います」

検察官「ひきずられてどうなったんですか」

阿部「ひきずられて東側裏出入口の左はじのところまで、ひっぱられました」

検察官「距離にしてどの位」

阿部「ひっぱられた距離は二、三メートルと」

検察官「ひっぱられたところをちょっと図示して下さい」

(証人、図面その三に書き加える)

検察官「その東側裏出入口というんですか、そこまでいってどうなりました」

阿部「そこへ行って、永田署長が左はじの柱にしがみついたと、記憶しています」

検察官「四、五秒すぎてからどうなりました」

阿部「ひっぱりおこされて、中の廊下へ、おしこまれました」

以上が阿部証人の証言の要点であるが、同証人は、永田が連行されていくのを目の前で、目撃して証言したことになっている。

永田、阿部両証人の右に引用した証言によれば、被告人らをはじめとする労働組合員は、強制力を行使して、永田署長を団体交渉の場に連れ戻しているのである。一審判決は、強制連行の事実を認めた上で、違法性がないとしているのでなく、犯罪の証明がないとしているのである。これだけの証言があるのに、犯罪の証明がないとしているのは、右の証言と喰いちがう証言があるからである。それは被告人たちの本人尋問の結果ならびに組合側の証人の証言であり、ことにその日営林署の構外から、この情況をみていた、第三者の証言があるからである。それは、石沢喜一郎、兼子満、渡部綱、吉田洋子証人の証言である。その一人石沢喜一郎証人の証言によれば、組合員は署長の回りを囲んで、裏入口から入っていったが囲む状態はスクラムかどうかわからない有様であったし永田が裏口に入るまでの時間は短かく二分ぐらいであるし、かけ声がかかっていたか記憶がないとのべている。そして、その間、永田は抵抗した様子もなく割合スムーズに裏口にいったのである。その間に、

裁判長「その透間のないように取囲んだのが、腕を組んだとか、あるいは肩に手をかけたというのは見てないんですね」

石沢「それはわかりません」

裁判長「それはみてないか」

石沢「ええ」

裁判長「とにかくすき間なく囲んでおったというわけですね、その囲みには直線的にいきましたか、渦を巻いていきましたか」

石沢「廻らなかったと思いました」

裁判長「廻らないで真直ぐ行った」

石沢「ええ」

というのであり、組合員が暴行をはたらいた様子は全くない。そして、この事件が全体として、石沢証人の目にどううつったかというと、

弁護士「そうすると、あんたの当日の見た印象ですけれどもね、その逮捕されるような、そんなような出来事だという印象はもたなかったわけですね」

石沢「ええそれは、そんなこと思わなかったなし」

弁護士「そんなこと思わなかった」

石沢「ええ」

弁護士「どんな印象だったです」

石沢「ただ署長さんがなし、ちょっと可愛想だなと思った位で」

弁護士「署長がちょっと気の毒だなと思った。それで警察沙汰になるようなことだとは思わなかった」

石沢「ええ思わなかったなし」

弁護士「いわんや裁判になるなんてことは思わなかった」

石沢「思わなかったです」

この総括的な印象は、他の兼子、渡部、吉田の三証人についても同様である。例えば、渡部綱証人の証言によれば、

弁護士「その連れていったというのは要するに署長の意志に反して連れて行ったという感じですか」

渡部「まあそういう感じ受けましたですね」

弁護士「なんか取巻いている人達は、なんか特別の行動とっておりましたか、それとも囲んだままでずっと」

渡部「まあスクラムを組んでおったようです」

弁護士「スクラム組んでその手をとくに、例えば撲るとか蹴るとかそういうような状況はありましたか」

渡部「さあそんなことは、署長が行きたくないような意志」

弁護士「意志はあった」

渡部「あったがまあ連れていったという印象受けました」

弁護士「それ以外に撲るとか蹴るとか特別な行動があったとは思わなかった」

渡部「そんなことはちょっと記憶ないんですがね」

弁護士「あれはむしろそういう記憶がのこっているんじゃないでしょうか。そういうひどい乱暴したとすれば」

渡部「まあ、あまり大したトラブルはなかったと考えております」

となっていて、暴力とみられるようなことはないのである。第三者の目には、警察や裁判所の問題にはならないと思われたこと、大したトラブルはなかったと思われることが営林署当局者の証言によると、すでに永田、阿部両証人の証言について見てきたとおり、誇張され、歪曲され、暴力的につくりあげられているのである。このような証言が信用できないからこそ、犯罪の証明がないとされ、無罪となったのである。

(2)  五月四日、永田永久の金庫の激突による右前膊部の負傷について

石川被告人の体当りによって、永田永久が右の負傷をしたということは、すでに引用したとおり、第一審判決が、他の二つの負傷原因を排斥しているところから、検察官の主張する唯一の負傷原因であった。被告人側は、審理の冒頭からして、永田の右の負傷は、永田が窓から退出する際、自らふみ出した足下の薪の山がくずれ、そのため永田が転倒してできた傷である、と主張してきた。原審においても重要な争点の一つであった。これに対して、原審はすでに引用したとおり、右の負傷の原因は、記録、証拠物を検討しても認定は困難であるとし、第一審判決をくつがえして、罪の成立を否定したのである。

永田の金庫への激突と負傷については、検察官も重点をおき、入念な立証をおこなってきた。これにこたえて、営林署当局側の証人は、口をそろえ、永田が金庫に激突した模様を具体的に、詳細に証言しているのである。

永田は昭和三五年七月二九日に行なわれた証人尋問で、つぎのようにのべている。

検察官「体当たりされてですね、体当たりされた部位はどの辺に体当たりされた」

永田「私の上半身であります」

検察官「上半身のどの辺に当ったんですか」

永田「やはり胸の、胸から腹のあたりにあたったんです」

検察官「そうすると、相手方のどの部分があたったような感じですか」

永田「相手方の肩の部分があたった感じです」

検察官「体当りされて証人はどうなりました」

永田「突然でございましたので、体当りをされてから回転をいたしまして左後方の窓ぎわまでふっとんだわけです」

検察官「回転をして左後方の窓ぎわまでふっとんだということですが、回転をしたというのはどういうことですか」

永田「実際にやってみますと、ぶつかってこういうふうにまわってここに窓がございましたので」

ここで、自分が「ふっとんで」いく有様を実演している。

検察官「そうすると今証人のやったのはですね、ぶつかられて左廻りにまわったわけですね」

永田「左廻りであります」

検察官「左廻りに一八〇度回転したんですね」

永田「一八〇度です」

検察官「そのふっとばされたという表現なんですがね、それはどういうことを言い表わしているんですか」

永田「その時には相当はげしく後方の窓ぎわにあります、ちょうど鉄製の金庫がございますが、その金庫がここにありまして、ここに窓があるわけですが、ちょうどその三角にあたるあたりに激突したわけです」

検察官「ぶつかった、激突した位置はです、手の部分ではどこですか、さししめして下さい」

永田「ここの位置です」

検察官「証人が今示しているのは右前膊ですね、手のひらと手首より一寸上がった位置のようです、そして今度激突した金庫はどの辺です、金庫のどの辺ですか」

永田「金庫の、金庫はこういうふうに四角にありますと、この角であります」

検察官「真ん中辺」

永田「はい」

検察官「金庫の前面角ですね」

永田「はあ、前面の金庫は、こういうふうにしてあけるようになっておりまして、だから金庫の前面の、その角」

検察官「前面の上の角ですね」

永田「はい、上の角です」

裁判長「左腕が」

永田「体がですね、こういうふうにぶつかって、こちらに、窓がございましたので、窓側のほうに接触したというわけです」

裁判長「体の左半分は窓のほうに接触したと、それから、右腕は、金庫にあたったと、こういう意味ですか」

永田「左半分といいますか、むしろ、主体のほうはですね、窓よりも金庫の方が主体であります」

検察官「左胸から、左大腿にかけたあたりが、窓にあたったという動作を、証人は示しましたね、ぶつかった時は、直立していたわけですか、あるいはそういう姿勢じゃなくて、くずれた姿勢になっていたわけですか」

永田「前かがみにくずれた姿勢になりました」

このように、永田証人の証言は、まことに具体的であり、自分が金庫にふっとぶ有様から、ぶつかった部位、その時の姿勢にいたるまで、詳細にのべている。事件から一年以上たった時期における証言と思えないほど、細かく、「明解」な証言である。原判決は、この情況をさして、

「団体交渉を一方的に打ち切り、あれこれいり乱れていた興奮時において、右永田署長が傷害がいずれの場合に生じたかを間違なく記憶断定し得るものとなすことは、躊躇せざるを得ない」

としているが、経験則からいえばそのとおりである。しかるに、右の永田証言においては、永田証人は冷静そのものであり、そのときの動作の一々について、経過をおって、微細にわたるまで証言しているのである。

興奮状態にあって、よくおぼえていないと思われることを、逐一詳細にのべ、金庫にあたるまでの動作と、自分の右前膊部があたった金庫の部分までを指示するというのは、どういうことであろうか。それは被告人たちに傷害の責任をおわせ、労働組合運動を弾圧するための創作の証言をしたことである。原判決の右に引用した判断は、永田証言が信用できないことを表明しているのである。

では、永田証人は、興奮していて、よく記憶していないとして、他の管理者たちはどうであろうか。

次にみるごとく、やはり永田署長の前膊部が金庫にあたったことを、目前の事実として証言しているのであった。

まず阿部新一についてみると、一審公判昭和三六年一月三一日の証言で、阿部証人は、石川被告人が、永田署長に体当りをしたとのべ、

検察官「いやいや、立ったその位置でいい、そこからどういう方向に体当りをした、体当りはどういう具合にしたんですか」

阿部「腕をくんで、腰をかがめてこういうふうに」

ここで写真がとられている。

検察官「それで体当りされて、永田証人はその方向からどうなりましたか」

阿部「後のほうによろけて、ここに金庫あったんですが、金庫に、右手首のへんを下にしてぶつかりました」

検察官「肩によりかけたんですか」

阿部「手と肩が、手が右下になっていました」

ここで、また写真がとられている。調書につけられた、それらの写真をみられれば、わかるとおり、阿部証人は永田証人とは反対に、永田が金庫を背にして、尻は下にかがみこんでいる様子を示している。永田証人は、右前膊部を金庫の上部にあてたといっているのに阿部証人は、その姿勢からして、永田の右手が金庫の右下の側面の角、床に近い部分にあたった写真をとらせている。永田が体当りされて、金庫にぶつかるまでの態様について

検察官「体当りされて、後にさがるようにして、後にさがるようにしてさがったんですか」

阿部「トットッと早くさがりました」

この様子も永田証言とちがう。永田は一八〇度半回転して、金庫にぶつかったのに、阿部証人は、永田がそのままの姿勢で後にさがり、体がとばされたのではなく、早くさがるに、とどまる。その破綻に気がついた検察官は、それをとりつくろうため、誘導尋問をこころみ、

検察官「体がこうぐるっとまわったようなことはありませんか」

これに対して、弁護人から異議が出されてその質問が禁ぜられ、この日の尋問は終っている。

翌二月一日の弁護人の反対尋問に対しては、阿部証人は、

弁護人「何歩ぐらい下がりましたか」

阿部「下がったのは二歩ぐらい小きざみに下がったように」

弁護人「小きざみに二歩ぐらい下がった」

阿部「一回転して金庫のほうにぶつかったのであります」

前日では、トットッとさがったのに、この日は回転している。しかし、永田が背をうしろにして金庫にあたったことは同じなので、永田証言は一八〇度の半回転といっているのに、阿部証人は、三六〇度の一回転である。このように証言がかわったのは、猪苗代営林署の上局である、前橋営林局の職員課職員佐藤等が、この両日の証言を傍聴しており、阿部証人と同一の宿にとまり、証言内容について話が出た(阿部、昭和三六年四月一〇日証言)のと無関係でないと思う。しかも阿部証言は、右の部分では、「小きざみに二歩ぐらい下がった」といっておきながら、次の同年四月一一日の証言では、

阿部「とにかく、石川中闘の体当りというのは、ちょっと普通に考えられるような体当りではなかったですから」

弁護人「そうすると、永田署長の体がふっ飛ぶように飛んでいったんですか」

阿部「そうですね、早かったですね、身構えて、体をすくめて、反動をつけて、ぐっとやったわけですから。僕もその時瞬間的に感じたのは、すごい奴だなというふうに感じたんですから」

弁護人「そんなすごい勢いで、体当りしたんですか」

阿部「そうなんです」

弁護人「それで、永田署長が金庫にふっ飛んで行ったわけですね」

阿部「一回りしながら」

弁護人「ふっ飛んで行ったわけ」

阿部「そうなんです」

弁護人「それで打ったのは、右手の関節の付近と、頭なんですね」

阿部「そうなんです」

トットッと、小きざみに、二歩ばかりさがったのが、ものすごい勢いで、一回転しながら、ふっとんでいったことになってしまっている。トットッとさがることと、一回転するということは動作としてそもそも矛盾するのであるが、永田証言とあわせるために、臆面もなく、証言をかえていくのである。しかし、右手の関節付近をうったというのは、一致しているのである。

猪苗代営林署事業課長稲木大観の証言はつぎのようになっている(昭和三六年八月四日の尋問)。

石川被告人が、永田署長に体当りをすると、

検察官「当てられて署長はどうなりましたですか」

稲木「一八〇度右回転して丁度南の角に金庫がございました。約高さ三尺位の金庫だと思います。その鉄製の金庫にまあ署長は前膊部をぶつけたはずです。右前膊部です」

検察官「そうすると体当りを受けたとき署長は、署長の体のどこで受けたんですか、体当りを」

稲木「胸元だと思います」

検察官「そうすると半回転したわけだな、半回転して金庫に前向きになったわけですか」

稲木「前膊部を金庫、顔は東側向でした。東側向いて前膊部を金庫の角に、支えたはずです」

検察官「金庫は支えたはずというのは」

稲木「支えたといいますか、そこへ手で、手が当ったか、こういうふうにそこにいったはずです」

このように、稲木証人も、永田が体当りされて、半回転しながら金庫に、右膊部をぶつけたと証言しているのである。

同じく管理者の一人である浦野安弘労務厚生係長の証言(三六年九月二九日)によると、

浦野「石川一雄さんで、右肩を署長の上半身にぶつけたわけです」

検察官「石川一雄の突当った方向ですね、ぶつけた方向は」

浦野「大体金庫のほうです」

検察官「そうしてぶっつけられた署長はどうなりましたか」

浦野「……金庫にぶつかってよろめいたわけです」

検察官「金庫に、どの辺をぶつかったんでしょう。どの辺を当てたんでしょう」

浦野「……」

検察官「金庫にぶつかって、よろめいたというのは署長が自分の、どの辺をあてたんでしょう」

浦野「右手じゃないかと思いますが」と、永田が金庫にぶつかったこと、その時に右手を金庫にあてたことを証言している。

あとにのこった管理者は、菅野盛庶務課長一人であるが、菅野証人は、自分のそばでおこったことであるが、石川被告人が腕組をして、肩をゆすって交互に押して、自分の目の前をとおって金庫の方へいったが、下をむいて、とばされたり、ぶつかったのは見ていず、菅野証人が目をあげたときには、永田署長は金庫を背にして、その前にたっていたというのである(三六年六月八日証言、同年八月五日証言)。

以上引用してきたごとく、証言の精粗と、永田が金庫にあたる態様については、くいちがいがあるが永田の右前膊部が金庫にぶつかったという一点においては、見ていなかったという菅野証人を除いて、四名の管理者の証言は一致している。もし、永田、阿部、稲木、浦野の四人の証言が真実を語ったものであり、それが信用するに値いするものであれば、石川被告人が、永田永久を金庫に激突させて、右前膊部に負傷させたという公訴事実は、有罪とされねばならない。事実、一審裁判所は、そのような判断をした。しかし、これは明白に誤っている。

第一に、これは場所的な関係から、物理的に不可能である。被告人らは、その控訴趣旨でこのことを指摘し、原審裁判所は、それによって、特に現場に再検証し、当局側証人を喚問して、その場で位置関係を指示せしめた。その結果は、久保田弁護人原審弁論要旨三(二)「金庫への衝突事実の不存在」の項に詳細に分析されているとおりである。問題の場所は、団体交渉用机と窓との間長さ約二メートル、巾約一メートル三〇センチのきわめてせまい面積であり、そこに永田証人、石川被告人のほか、菅野証人、河原執行委員、上野、西坂両被告人がおり、さらに永田用の回転椅子、菅野用の椅子がおかれてあって、足のふみ場もないくらいであった。そんな場所では、かりに体当りをされても、人にあたらず、物にあたらずに、一メートル五〇センチも回転しながらふっとんで、金庫に激突することは物理的に不可能である。

第二に、第三者の証言である。五月四日事件の直後に、医師である佐瀬亘証人が、営林署からよばれて、永田を往診しているのである。佐瀬医師は、

「営林署の窓から転落して負傷したという往診の依頼をうけて、急いで営林署長官舎におもむき、永田を診察した際に、同人は窓からおちて怪我をしたという告知をうけた」と、証言している。原審裁判所も、この点を重視し、同証人を再度尋問したが、証言の趣旨は同様であった。

この事実の上にたって、原審判決は、一審判決を破棄して、永田の金庫激突ならびに負傷の事実を否定して、無罪の判断をしたのである。この判断にあたり、さきに引用したように永田が興奮していたことを理由に、間違いなく記憶断定しうるとすることは、躊躇せざるをえないと、いっているのであるが、これは当局側をかばっているともいわざるをえない。永田は、受傷時に、窓からおちて怪我をしたと医師につげているのであり、自己の受傷原因を知っているのである。それを、石川被告人とのもつれに結びつけ、金庫に激突したと証言しているのは、明白に被告人を罪におとすために、偽りの証言をやっているのである。

かりに一歩ゆずり、永田が当事者として興奮していたとしても、そばで見ていた管理者の三名が、口をそろえて永田の右手が金庫にぶつかったと証言しているのを、原審はどう判断するのだろうか。これは、永田が薪がくずれおちて負傷したのを、石川被告人との金庫の前の紛争にむすびつけて、いわゆる「デッチ上ゲ」をするために、相談し、口をあわせたことを意味する。しかも、永田が金庫にぶつかるまでの態様が、各人各様でちがっているのは、管理者の四人の証人が、実際に体験していないことを証明している。ないことは目撃できるはずがないからである。管理者である四人の証人は、意識的に偽りの証言をのべているのである。

以上、五月四日についての公訴事実中、もし事実あったとすれば、もっとも重大な責任があると思われる二つについて、検察官の主張が斥けられ、それを裏付ける当局証人の証言が偽りの証言をした事実を具体的にのべたのである。このことは原審裁判所として認めざるをえないことである。してみると、当局側証人の証言は信用性がないことは明らかである。原審裁判所は、この事実にたって、証拠の取捨選択および内容の判断をすべきであったのである。

二 原審判決の証拠についての経験則違背と事実誤認

原審判決は、公訴事実第一のうち、源部被告人が窓枠にのぼって脱出しようとした阿部新一の足首をつかんで、室内に引っぱったとの点を無罪とし、また公訴事実第二のうち、石川被告人が、永田永久を金庫に激突させ、負傷させたとの点を否定した。しかし、なお一審判決の罪となるべき事実の認定を被告人側の論証にもかかわらず、無罪とせずそのままのこしている。これは極めて不当な判断である。それというのも、憲法第二八条の労働者の団結権の解釈適用をあやまり、あるいは証拠の取捨選択をあやまり、その価値判断をあやまったことに帰因するのである。これらの有罪認定の証拠資料は、当局側証人によっているのである。それ以外には、被告人たちの有罪を立証するものは、何もないばかりか、被告人側で申請した証人の証言、物証は、すべて被告人の行動の正当性と暴力とみられるべき行為の全く存在していないことを、積極的に証明している。

右の一にあげた二つの事実は、たまたま第三者の証人が存在した。そして、それらの証言は、被告人らの主張及びその本人供述に合致していた。そのために、被告人らは右の二つの事実について、無罪をかちとることができたのである。このことは、被告人らの主張と供述が真実であり、信用できうるものであることを証明しているのである。しかるに他の事実については、その主張がいれられず、供述が信用されなかったのである。この審理にでてきた、事件の目撃者あるいは経験者の証言は、すべて被告人の供述、全林野労働組合員である証人の証言の正当性を証明し、逆に営林署当局の証人の証言が虚偽であることを証明した。そうであるならば、第三者の証人がいない場面の証言についても、被告人の供述、組合員である証人の証言は信用できると考えるのが経験則であり、これに反する当局側の証人の証言は信用できないと考えるのが経験則であり、条理である。しかるに、事実はなんと逆である。第三者証人のいない場面について、被告人本人の供述及び組合員である証人の証言と、当局側証人の証言がくいちがった場合には、一審及び原審裁判所は、被告人本人の供述及び組合員である証人の証言を斥けて、当局側証人の証言をすべて採用しているのである。このような採証法則の適用についての、裁判所の態度は、明白に経験則に違反し、条理に違背し、何人をも納得せしめることはできない。

裁判所が、このように学童でも、ただちにわかるような道理を無視するならば、裁判所は公平の要請を捨て去って、むきだしに支配階級の立場にたって、たまたま、第三者である目撃者がない場合には、すべて政府権力の言い分に加担して、しゃにむに、労働者を弾圧する態度にでたものと考えるほかないのである。

1 罪となるべき事実第一における事実誤認

(1)  石川被告人が永田永久のみぞおちを手拳でついたことはない。

石川被告人が四月二八日の団体交渉の打ち切り時に、永田永久のみぞおちを手拳でついたというのは、全くのデッチ上げである。その具体的指摘については、根本弁護人控訴趣意書第二(二)、及び同原審弁論第五にあげてあるので、これを引用する。そこには当局側証人の証言をあげ、その混乱を分析し、これを組合員たる証人の証言と対比してある。ここでも、当局側証人の証言が採用され、組合員たる証人の証言及び被告人本人の供述が斥けられている。ことに注意していただきたいのは、証拠物である渡部被告人のノートの記載と、原審証人である上野英子証人の証言が一顧もあたえられていないことである。

このノートは、この闘争中につけられたものであって、裁判の資料になることなど、まったく念頭におかれることなくかかれていたものであり、当局との交渉中の被告人らをはじめとする組合員の心構えをよく示している。それが捜索により押収されたものであるから、その信用性は頗るたかい。そのなかには、

「行動班のあり方

一、分会組合員絶対に挑発にのるな『なぐられたらなぐられっぱなし』」ということが記載され、組合員らが、集合した機会に、互いに確認しあったことがうかがわれる。しかも、そのあとのほうには当局側との交渉は全林野労働組合中央執行委員会である石川被告人が担当する趣旨のことが見えているので、同人もその席にいたことがわかる。この団体交渉を指導するために、中央本部から派遣された石川被告人は、暴力行為を挑発される危険をよく知っており、同人が右のような注意をあたえたものと思われる。そのような立場と考え方の持主が、進んで当局の代表者の胸をつくなどとは、経験則上考えられないところである。

上野英子証人は、原審で三九年七月二三日に証言をした。上野証人が、この日、団体交渉が打ちきられた時点に、組合側書記として出席していたことは、証第六号の七に、その名前が記載されているとおりであり、また同証の自分の筆跡とあわせて、団体交渉打ち切りの経過を証言しているところから、疑いはない。その証言によれば、同証人は団体交渉机の西北角と書棚との間の一番せまくなったところで、交渉の模様を記録していた。検証調書にてらしてみれば、そこに人が椅子でもって坐っていれば、そこをとおることはできず、強いてとおろうとするならば、特に椅子を前に引いてもらったうえで、ようやく身体を前後にすりぬけられるほどの狭さであることがわかる。同証人の頭ごしに、当局側、組合側が、団体交渉を続けよ、いや打ち切ると言いあいしたことはあるけれども、同証人のうしろをとおったものは、当局側、労組側ともいなかった。まして石川被告人がとおったことを上野証人は明確に否定しているのである。そこをとおらなくては、永田永久が胸をつかれたという室の東北隅にはいけないのである。机をこえて、いけばいけるであろうけれども、その日石川被告人が、机をこえたといっている証人は一人もいないのである。そこをとおらなかった石川被告人は、その時に永田のそばにいけるはずはなく、したがって、そのみぞおちをつくなどということは、ありえないことである。

ところが、原審判決は、この二つの有力な証拠を無視して、当局側証人の信用すべからざる、しかも相互にくいちがい、混乱の多い証言に依拠して、一審の有罪判決を支持したのである。これは、まったく採証法則をあやまったものであり、事実の誤認である。

(2)  被告人らは、阿部新一を署長室北側窓下から、暴力的に連れ戻したことはない。

阿部新一が窓から飛びおりたときに、石川、大倉両被告人をはじめ、組合員がそこにいき、阿部が古川薫、大倉被告人の上に土足でとびおりてきたことに抗議し、また団体交渉をするように要求し、打切りの不当性を非難したことは事実である。そして、阿部と一緒に署長室まで帰ってきたが、そのときスクラムをつくって、阿部がにげださないようにし、また間断なく掛声をかけ、また阿部のまわりをぐるぐるまわったようなことはなかった。阿部とて、好んで帰ったわけではないが、無理に阿部の身体を押し、あるいは手をかけるなど、暴力にわたることはなかったのである。何人かが一緒にかえるのであるから、そのうちには、誰かの身体と阿部の身体が接触したことはあるだろうけれども、意識的に阿部にぶつけるものはいなかった。この点につき、暴力行為と認定した一審判決及びこれを支持した原審判決は事実を誤認している。

この判断の資料になった証拠は、阿部本人の証言だけである。それは、夜九時半を過ぎていた頃であり、あたりは暗く、明るい室内から暗い室外のできごとは見えないので、当局側証人では、阿部以外には誰も経過を見えなく、証言しているものはないのである。

同人の三六年一月三一日の証言は、つぎのようになっている。

阿部が窓からとびおりて、立ち上がると、

阿部「立ち上がるや否や、スクラムの中に入れられました」

検察官「スクラムというものはどういうものですか」

阿部「組合員がお互いに手を組んで、輪になった形であります」

検察官「その輪になった人数はどのくらいですか」

阿部「一〇名近くだったと思います」

検察官「一〇名近く輪になってどうしたんですか」

阿部「中に私を入れまして、ぐるぐる回りながら移動しました」

検察官「言葉や掛声などはありませんでしたか」

阿部「ありました」

検察官「どんな言葉や掛声がありました」

阿部「笛の音がしましたし、それからスクラムを組んでいる組合員はわっしょいわっしょいという掛声を掛けました」

検察官「どういう具合に、どのくらいの速度で回ったんですか」

阿部「駈足程度の早さだったように記憶しています」

検察官「ぐるぐる回ってどうするんですか」

阿部「ぐるぐる回りながら、中に入っていた者を洗濯するような格好だったように記憶しています」

検察官「証人がどうなる時の状況を洗濯されるという言葉で表現された」

阿部「こう、ごちゃごちゃ組んでいる中で肘や腕の辺を突かれたような感じしました」

検察官「この腕を組んでる場合に、胸をどうやって突くんですか、記憶あるならその格好やってみて下さい」

阿部「わたしがいくらか、だれさがり気味になったもんですから」

検察官「中腰になったと言うんですね」

阿部「はい、中腰になったときに……」

この格好について写真がとられ、それから四〇メートルぐらい、約二、三分間、そのままつれていかれた。図面をかく。

検察官「正面玄関の所まで、図面にかいてあるのは、そこからは、抜けだすことはできませんでしたか」

阿部「抜けだせんでした」

検察官「抜けだす努力はしましたか」

阿部「抜けようとしたんですが、足がすべりぐるぐるまわるものですからついていけませんでした」

検察官「抜けだそうとしたというのは、具体的にどういうことをしたのですか」

阿部「スクラムをはずそうというふうにしました」

そこで、そのはずそうとしているところを写真にとられ、調書に添付されている。

検察官「スクラムはさき程図にかいた玄関あたりで解けたんですか」

阿部「はい」

検察官「どのようなきっかけで解けたんですか」

阿部「玄関の中に押し込まれました」

検察官「押し込まれたというのはどんな具合にされたことですか」

阿部「背中を後から押されました」

このスクラムにいれられた状況の証言は、さきに一、1で引用した五月四日に永田永久がスクラムにいれられたという状況についての、永田及び阿部の証言と、同一の状況といってよいほど似ている。その場合の永田と阿部の証言は、昼間のことで、幸いに第三者の証人がいたために、その虚偽が看破られ、裁判所はそれらの証言を斥けたのである。阿部証人は、永田の金庫に激突、負傷についても、もっとも露骨な偽りを証言している。そのような証人の証言を、どうして信じることができようか。昼間のことなら信じることができないが、夜のことについての証言ならば、信じることができるというものであろうか。この四月二八日の夜の「スクラム連行」についての阿部証言も、誇張と歪曲があり、信じることができないとするのが経験則である。このような不確実な、虚偽と思われる証言によって有罪と判断するのは、証拠による裁判とはいえず、刑事訴訟法三一七条に違反する裁判である。

真実は、坂内悦男証人が、一審の証言で述べているように、坂内証人ら組合員が、上からとびおりた阿部に対して抗議してとりかこんだが、阿部はとくに、逃げようともしないで、取り囲まれたまま表玄関のほうにいったのである。その際には、阿部も、別に抵抗もせず、組合員らも、こづきまわすとか、むりやりに、押していくというようなこともなかった。途中、阿部の肩に手をやるとか、まわりの組合員同志が多少手を組むこともあったが、固くスクラムを組んで、それで囲むということもなく、組合員らは、思い思いに阿部課長を囲んで一緒にいったのである。かけ声は抗議の中で、多少はあったかもしれないといっている。そうして、表玄関までいくと、阿部は一人でそのまま中に入ったが、そのとき肩をおしたり、突いたりした組合員はなかったのである。

この有様は、一審裁判所によって、無罪とされた五月四日に、永田を連行したときの状況と同様であり、正当な行為であって、なんら非難せられるべきものではない。組合員たる証人は、同様に事実をそのまま証言しているのである。五月四日の場合の証言を信じてよかったと同様に、この四月二八日の証言を信ずるのがよいのである。それが経験則というものである。他の場合から考えて、信ずるべからざる阿部証人の証言を採用して、有罪とした裁判所の判断は、採証法則の適用を誤り、事実の誤認におちいっているのである。

(3)  上野被告人の、阿部新一のかけた椅子をかたむけてしばらく保持したことはなく、西坂被告人が阿部新一の胸部を指でついたことはない。

これらのことは、阿部が連行され、玄関から、また署長室に入ってきてからのこととされている。被告人らはじめ組合員が、当局側の団体交渉の一方的打ち切りの措置に憤慨し、抗議をしたのは事実である。また阿部が帰室してからも、椅子に腰をおろしたまま、一向に団体交渉をやるけはいがなかったので、ただちに交渉に入るよう、うながしたことも事実である。その際、上野被告人が、交渉再開の要求に対し、阿部が沈黙しているので催促の意味で、阿部のすわっている椅子のひじかけの部分を二、三度ゆすったことはあるが、これらは到底暴力行為ということはできないのである。しかし、四五度にかたむけ、阿部を危険な状態において、しばらく保持したなどというのは、まったくの歪曲と誇張である。阿部ほどの大男を、四〇度乃至四五度にかたむければ、その体重で、椅子の足は木の床の上をすべって、阿部はたちまちころんでしまうであろう。それを三〇秒も保持していたなどということ自体誇張であることがわかるのである。

また、西坂被告人もその際、同様の意味で椅子をゆすったことがあるが、胸をついたことはないのである。

これらの認定も、一、二審の裁判所が、信用すべからざる管理者証言を採用した採証法則違反であって、結果において事実誤認におちいったことを示すものである。

2 罪となるべき事実第二における事実誤認

(1)  石川被告人が、永田永久に体当りをしたことはない。

原審判決は、永田永久が、金庫に激突し負傷したという公訴事実を否定したのであるが、検察官がその原因であると主張している。永田に対する石川被告人の体当りだけは認めて、一審判決の有罪の認定を支持している。永田をはじめとする当局側証言のなかで、体当りの事実だけが信じることができて、その結果である負傷の事実だけが信じることができないということは、どういうことであろうか。この点について、原判決は何らの理由も示していない。なるほど、永田の体がふっとぶことは場所的関係から、物理的に不可能であり、負傷については、永田自らが薪から転落して生じたものであることは第三者の証人があることから、当局側証人の証言が、偽りであることは証明される。そのような証拠がないからといって、体当りが真実であるという証明にはならないのである。経験則からいえば、結果についての証言が信じることができないならば、原因たる行動についても信じられないとするのが、普通である。

では、体当りの事実を否定する証拠はないのであろうか。いや、あるのである。ほかならぬ、当局側証人の一人、菅野盛の証言が、体当りの事実を否定しているのである。この証人は、金庫の激突は見ていないといっている、当局側唯一人の証人である。三六年六月八日の検察官の尋問に答えて、

検察官「座らさせられた署長は、そのまま黙っておりましたか」

菅野「再び立ちました。そしてその時には、石川一雄さんと、そのほか二人ぐらいだったと思いますが、そちらの窓の北側。石川一雄さんは、団交の机の際のほうに立っておりました。そちらの、二人並んでおりました、その間をかき分けて出ようとする意思で、永田署長が手を上げたわけです。だけど」

検察官「手をあげたというのは、どういうわけです」

菅野「こういうふうに、かき分けようとした態度です」

検察官「誰をかきわけようとしたんですか」

菅野「石川一雄さんと、その隣にいた人だったと思います」

検察官「じゃ、かき分けた署長は、かき分けて進むことができましたか」

菅野「できませんでした」

検察官「それはどういうわけで」

菅野「それに対して石川中闘が署長ついたなというふうなことで、やるならやろうというふうな表現だったと思います。それで、腕組みをして、署長をこういうふうな形で、交互に押して行きました」(証人その動作をする)

検察官「腕組みをして、言葉でいうと、見てわかっているんですけれどもね、言葉でいうと」

菅野「腕組みをして、こういうふうに交互にですね。肩をゆすって、署長を押して行ったと」

検察官「押した部分は、どこが当っているんですか」

菅野「この部分だと思います」

検察官「ひじから前膊部にかけてね」

菅野「はい」

検察官「押されて署長はどうなりましたですか」

菅野「押されて引込み引込み行って、私の前を通りましたから、私もその瞬間わたしにぶつかるというふうなことで、わたしもちょっと下を向いた瞬間に、私の前を押されて行ったわけです。それで私が目をあげて見たときには、署長は南角の金庫の所に、こちら向きに金庫にくっついて立っていました」

見られるとおり、石川被告人がはげしく体当りをしたことはない。永田永久がむしろ、石川被告人をおしのけたのである。その後、石川被告人が反撃して、永田を押していったというのが、菅野証言である。押すのもぐいとおすのではなく、肩をふるように押し、永田は後ずさりをして、金庫のそばまでいくのである。勿論、ふっとばされたことはない。この関係は、同証人の同年八月五日の反対尋問に対する証言でよくでている。

弁護人「それで、石川君は腕組みをして、肩をゆすって署長を押していったと、こういうことですね」

菅野「はい」

弁護人「そうすると、署長は結局、あとずさりしていく、そういうことになりますね」

菅野「はい」

弁護人「そうすると、二人の体と体がどんと、ぶつかるということは、ないわけですね」

菅野「そんなふうに感じたことは、なかったです」

弁護人「それから、ひっこみ、ひっこみして、証人の前を通っていったというのが、あなたの証言ですが、結局、そういう状態のままで、あなたの前を通りすぎたということになるわけですか」

菅野「そうです」

このとおり、石川被告人の体当りというものは存在しないのである。しかし、この菅野証言もおかしいところがある。これは永田が、石川被告人と隣の人の間をかきわけていかれなかったといっているところである。そうであるとすれば、石川被告人は、永田を金庫の方におしのけるわけがなく、押していったとすれば、金庫と逆の北側におしていったことになる。事実は、永田が石川被告人をおしのけて、両者の位置がかわり、永田は自ら金庫の上のカバンをとりにいき、もとの位置にかえるときに、石川被告人と向かいあいのかたちになり、そこで、石川被告人が永田に抗議をしたのである。だから、抗議の際、狭いところに大勢の人がいるのであるから、石川被告人の体が、永田にふれることはあったかもしれないが、体当りは勿論、肩で交互に押していくような状況もなかったのである。このことは、一審における河原勝秀証人の証言から、はっきりと証明できるのである。

しかし、当局側証人の菅野証言からも、体当りの事実が否定され、しかも組合側の河原証言も、はっきりとその事実を否定しているのに、原審裁判所が体当りの結果である負傷の部分を全て措信しなかった菅野をのぞく当局側四人の証言によって、体当りを認めたのは、全く合理的根拠を欠くものであって、採証法則の違背は明白である。

(2)  石川被告人が、署長北側棚附近で阿部の腕をねじりあげ、手拳で同人の右手をうち、さらに同人に体当りをして、同人の背後にいた永田永久にぶつけ、この勢いで永田を後退させて書棚に衝突させたことはない。

四月二八日にしても、五月四日にしても、団体交渉中は、傍聴者がその場に入り込んで、一杯になったことは当局面、組合側証人の一致して認めるところである。したがって、そこをとおりぬけるためには、傍聴者にすわっている椅子を動かしてもらって、その間をぬっていかなければ、出口にでられない状態であった。であるから当局が同体交渉をうちきって、立ち上がると、これに抗議して立ち上がった組合員で、一層せまくなり、ことに当局側が出口のほうにいこうとすると、抗議する組合員も自然とその方に寄っていき、団交机の西端と北側書棚の東側角を結ぶ線は、人で一杯になり当局側はでられないことになる(菅野証人、三六年六月七日)。この状態を目して、検察官は、組合側の立ちふさがり行為で、暴力的であるとし訴追をし、裁判所もこれを認めているが打ち切りの経過、四囲状況から、まことに不当な判断である。しかし、とにかく、当局側が、右の線から出られなかったことは事実であると認めているからこそ、四月二八日にせよ、五月四日にせよ、立ちふさがったとして起訴されているのである。五月四日にも、先頭の阿部が北側書棚の角までき、永田は北側窓附近まできて、それから先にすすんできていないのである(五十嵐啓介証言三七年五月一六日)。であるから、当局側が北側書棚前まできたという判断はあやまりであることが明白である。どういう理由で、組合側が、書棚前まで当局者のくるのを許したのか、事情が少しもでていないのである。この日は、組合側の憤激は四月二八日より一層強いと思われるのに、入口附近まで進める理由がないのである。

当局側が永田が後頭部を書棚にぶつけたという理由をつくりあげるため、書棚前まできていないのに、きたごとくによそおったのである。永田が、医師に後頭部痛を訴えたのは事実であろう。しかし、それを診た佐瀬、山田医師とも、外部的な徴侯を認めていないのである。訴えられたから、診断書にそうかいたとは佐瀬証人はいっている。医者として患者のいうことを、そう受けとるより仕方がないのである。同証人によれば、「頭のいたいというのは頭の中が痛いのではなくて、首筋が痛いというお話でありました」と一審証人尋問二三問で答えている。これはおそらく疲労からでもきたのであろう。それが診断書に記載されているのを奇貨として、書棚にぶつかったと、でっち上げたのである。その書棚の扉は、薄いガラス板が枠にはめてあるだけである。もし、後頭部に打撲傷を受ける程度に、強くぶつけるとすれば、ガラスが破損するはずである。しかし、現実には、ガラスは破損していない。ここからも、ガラスに衝突が偽りであることがわかるのである。

要するに当局側は、北側書棚の前までいっていないのであるから、その前において、石川被告人が阿部の腕をねじりあげたり、手をうったり、体当りをしたりすることはありえないのである。まして永田がそのために後頭部を書棚にぶつけることはありえない。

この事実誤認は、すべて信用すべからざる当局側証人の証言を採用したことからくる採証法則の誤に起因するものである。

三 当局側証人の証言は、検察官、上局の監督の立場にある者から指導ないし訓練をうけ、且つ、時に上局の者が証言を管理し、統制しているものである。

菅野、阿部、稲木、浦野の諸証人は、永田証人をふくめて、当日の行動について、何度も打合せを行ない、また前橋営林局職員課によびだされて報告もしくは打合せを行なっている。そして菅野、稲木、浦野については、証人尋問の前に福島地検に呼びだされ、長時間にわたって自己の供述調書を読まされ、はてはメモまでとっているのである。このことは通常の尋問前のテストの領域をはるかにこえていることである。このような情況のもとになされた証言は、刑事訴訟規則第一九九条の三第四項、同第一九九条の一一第二項の精神からすれば、それだけの理由によっても、その証明力は極めて薄いものとせられねばならない。しかも、地検の呼出は、菅野証人の場合、関係のない営林局を通じてなされているのである。これは検察官と営林局との間に連絡があり、検察官が国有林当局の立場と一体になって、労働者の弾圧をしたのだという被告人らの主張を裏付けるものである。

また、前橋営林局は、毎度の審理に職員を派遣して、証言の内容をおさえている。ことに、三六年四月一〇日、一一日の猪苗代町役場における公判準備の証人調の際に、営林局職員課の職員二名が、調室内のメモを禁じられると、室外廊下においてひそかにメモをとっており被告人側からの指摘により、裁判所にそのメモを留置せられるということがあった。これら傍聴に来る局職員は当局側証人と同宿し、証言の内容について、証人と話合っていることは、さきに阿部証人の場合、具体的に引用したとおりである。

以上の事実は、すべて一件記録にあきらかなことであり、その詳細ならびにその根拠については、久保田弁護人控訴趣意書に、具体的に指示されているので、ここに引用する。

要するに、当局側証人の証言は、国有林当局の労働組合対策の一環として、弾圧目的のために、意識的に、計画的に、誇張され、歪曲され、さらに架空の事実を創作して証言しているものであるから、その信用性はまったく存在しない。このような証言によって、右にあげたような事実誤認をおかした、原審判決の採証法則違反は明らかである。

第九点原判決は、有力なる証拠を排斥し、誤をふくむことが明白な証拠を理由も示さずに採用したことについて、採証法則の違背、もしくは理由不備の違法を犯し、判例に違反する。

刑事訴訟法第三一八条の自由心証主義に関して、次のような判例がある。

「証拠の取捨選択並に価値判断は原審裁判官の自由なる心証によるべきところであるが、然し裁判官の専断恣意に任かされているわけではなくして条理、経験則その他の採証の法則に違背することは許されない。

従って公訴事実を認定し得べき一定の形式的証拠が存在するも之を排斥する場合においては、之を排斥して採用し得ない所以について説示し、以て採証の法則に違背しないものであることの合理的根拠を明かにすべきである。

若し之を措信し得ないとして排斥するのみで、之を排斥するに至った所以について説示を必要としないとするならば、勢い裁判官の専断恣意を容れ易いのみでなく、当事者主義を基調とする刑事訴訟手続きの現在の構造の下に於いては訴訟の当事者は遂に立証責任を果すことを得ないであろう」、そのような理由を示さない判決は「理由不備の違法を犯したか、はた又証拠の取捨選択並に価値判断を誤って事実を誤認したかの違法を犯したもの」とされている(昭和二九年(う)第二一八号、同三〇年三月八日広島高裁岡山支部一部判決)。

また、刑事訴訟法第三七九条に関して、合理的な理由なくして、有力な証拠を排斥したことは、判決に影響のある違法であるとしている。

昭和二五年七月二六日に名古屋高裁刑事第二部の判決(昭和二五年(う)九八〇号)は「鑑定の結果、心神喪失あるいは心神耗弱が経験上認められる場合において、その採用し難い理由を説示するかあるいは更に他の鑑定人をして鑑定させるかそのいずれかの処置をとらないのは、判決に影響する違法である」としている。事案の内容は、つぎのとおりである。

「ヒロポン中毒にかかり、酒一升をのみ、急性酩酊状態になれば心神喪失の程度にあったものと推定できる」

という趣旨の鑑定書にもかかわらず、弁護人の主張を排斥したのは、

「右鑑定書に記載された鑑定の結果を正解しなかったこと」に基因するか、あるいは、「冒頭説示の如く原判決挙示の証拠により、被告人が原判示日時頃心神喪失又は心神耗弱の状況にあったものでないことが認め得られないこともない本件であるに鑑みると、原審に原判示挙示の証拠により右鑑定の結果を其の儘採用し難いものとの心証を把持したによるものの如くであるけれども、若し然りとすれば、原審は須らく原判決に於いて右鑑定の結果を採用し難い理由を説示するか、或いは更に他の鑑定人に鑑定を為さしめ、其の鑑定の結果を俟って判断するか其の孰れかの方法に出づるを相当と思料せられるに拘らず、原審が事茲に出てないで」弁護人の主張を排斥したのは、採証法則に違反し、原審の訴訟手続に法令の違反がある、としているのである。

これらの判例の立場は、自由心証主義を、合理的、合目的的に解すれば、何人といえども、同意せざるをえないところである。

本件の場合、右第八点にあげたごとく、当局側の証人の証言は信用性ないことが証明されており、少くとも、重大な事点である五月四日の永田に対する「金庫へ激突」及び負傷と「スクラムによる強制連行」について虚偽の証言をしたことは明白であり、したがって、その余の部分についての証言については信憑力のないことの蓋然性は、頗る高いといわなければならない。

逆に、当局側証人と相反しており、かつ裁判所が真相であると認めた被告人の本人供述及び組合員たる証人の証言は真実であり、したがってその他の場面についての証言は信用すべき有力な証拠であるといわなければならない。

ところが、原審判決は、これらの有力な証拠を何んら説明をつけずして、排斥したことは、右の二つの判例に違反しているものである。

右の判例の趣意の反面からすれば、明白な虚偽をふくむ証言について、その余の部分を無条件に採用することはできないのである。それが許されれば、正に右の判例のいう専断恣意をまねくものといわざるをえない。少くとも、右の判例の立場にたつかぎり、原判決は、永田をはじめとする当局側証人の、その余の証言を採用するについて、その部分は信用に価する理由を説示すべきであった。このような説明を全くなされていない原判決は、理由不備の違法を犯したか、採証法則に違背し、右の判決に違反しているといわざるをえない。

第一〇点原判決は暴力行為処罰に関する法律についてその適用をあやまり、判例に反している。

原判決は本件について、全被告人の共謀を否定し、罪となるべき事実についても、各被告人の単独行為もしくは、数人の被告の共同行為としている。被告人らは右のとおり無罪を主張するのであるが、仮りに原判決の前提に立つとしても、すくなくとも、前者については単独暴行としなければならない。なぜならば、多衆の威力というべきものは、この場合存在しないからである。ことにいわゆる「立ふさがり」の前の石川被告人の行為及び、四月二八日、管理者が戻ったのちの西坂、上野両被告人の行為は、そうである。この点において、原判決は法令の適用をあやまり、判例に違反する。

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